「憶えられないのは,懐かしがらないから.」
というYの言葉は今も有効だろうか.
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昔からそういう傾向はあったが,脳の記憶部位が少しおかしい.
周りにいる人がすごいだけなのかもしれないが,本当に色々なことを憶えられない.
そして,その傾向は,加速しているように感じられる.
感じられるが,いつもそう感じてきたのかもしれない.憶えていない.
しかし最近とみにそう感じるような気がする原因の一つは,
言葉が失われていっているからではないかと思う.
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誰かの顔を思い出そうとする時,その人の写真の顔しか思い出せない.
昔好きだった人や,友達や,家族の顔でさえも.
例えば自分が20歳の頃の,母親の顔を思い出せるか?
そういうのは恐ろしいことだ.
記録されたものしか記憶できない.
記録する時に滑り落ちるもの,書き換えられるもの,は,
削ぎ落とされてなかったことになってしまう.
写真の恐怖は,アウラを奪われること,ではなくて,
現実を書き換えてしまうこと.
でも,写真に撮らなかったら,無かったことになってしまうのかもしれない.
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生きている一秒一秒,全ての時間を記録したい気分だ.
(そうか,だからブログ気分なのかもしれない.)
でも,一秒を記録するには一秒では足りないし,
その記録を振り返っている時間も記録していったら,
抜け出せない合わせ鏡の中に閉じ込められてしまう.
忘れたくないことを,手書きの日記に記している間に,
どんどん書きたいことが溢れてしまって,書ききれなくなってしまう.
そういう砂がどんどん掌から零れ落ちて行くような恐怖.
因みに私は,自分の書いた日記を,殆ど読み返さない.
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母親は今は歳はとったが,もともと記憶力がよく,
記憶がストーリー仕立てになっている人だ.
そのストーリーを聞かされる度に,それが私の中に事実として溜まって行く.
(しかし,多分幸運なことに,どんどん滑り落ちていく.)
動物の古い頭蓋骨に触れながら記憶を話し,その部位が光っては消えていく.
私の,自分の中の記憶は,もっと一瞬の画像であり,ひとかたまりのものだ.
しかしそれは脆く,崩れやすく,すぐに他のもので置き換えられてしまう.
記憶を思い出す度に,記憶の映像が,アイソメトリーになっていく.
画像で説明して整理してしまうからだ.神の視点.
過去を振り返るのは,だからコワイ.
でも,振り返らないのもコワイ.
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私の記憶が映像か音数に頼っている所為か,
記憶の順番というのも,とても苦手だ.
例えば,四谷で花見をした(つい最近Oと話をしたので,ある一枚の映像を思い出した)のと,
海(それは大磯なのか岩井なのか)で花火をしたのと,
どちらが先なのかわからない.
彼女に最初に会ったのがいつで,最後がどこだったかも.
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友人TSの最初の記憶.部屋で反響する音で遊んでいたという,音の記憶.
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私が友人に基本的に正直であり,比較的あけひろげであるのは,
彼らに私の代わりに憶えておいて欲しい,と思っているからであり,
それは,私を,というより,いとおしい事実たちを,である.
でも,彼らの見ているものは,私の見ているものと,違って当り前で,
しかも,どんどん変わっていく.
旅行に行った後に,会食した後に,「たのしかったね」と振り返ると,
まるで本当にたのしかったかのようになる.
多分,たのしかったのだ.きっとそうだ.
それでも時々,ぎょっとすることがある.
「あの時僕らは仲良しだったよね」
うそだよね.
うそ,だよね?
うそ,だっけ??
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もっとひとつひとつを大切にしたら,懐かしんだら,
忘れたくないものたちを,忘れずにいられるんだろうか.
昨日のことを何も覚えていなくなった今日の私は,私と言えるのだろうか.
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最初の,言葉の話に戻ろう.
考える手段の一つである言葉を失うことで,
自分の中を通り過ぎていくものたちが,整理されずにすり抜けていってしまう感じ.
言葉にして,物語にして,残したところで,それがそのままではないのは確かだけれど,
それでも,某か,ではあるような気がする.
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記憶にある限り,スリに遭ったのは2回だけれど,
記録によると,財布をなくしたことがあるらしい.
自分のこととは思えない.
246で統一教会の人に話しかけられた回数も,牡蠣にあたった回数も,
今さっき書こうと思ったことも,
両親や友人が私の為にしてくれた数々のやさしいことも,
泣きたいほどに,どんどん忘れていってしまう.
歴史を感じられる人,自分で物語を語れる人が,羨ましい.
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それでも,まだ,困難はあっても,生きていくことはできる.
少しのエッセンスだけだけれど,身体の中に取り込んでしまうこともできる.
取り込まれたものを書き換えるのは,少し困難だ.
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必然的に,私にはほぼ現在しかない.
常に色々なものが同じ平面に重なって多色になっていて,
それはそれで,美しくもあるのだけれど.
でも,それでは積み重ならないし,減っていってしまう.
もう少し言葉の近くに戻りたい,と思う.
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