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ジュネーブの音楽ホールのコンペ.

オフィシャルサイトはこちら

最終が18組も残っている,少し大変なコンペでした.
ベルリンの21世紀美術館のコンペはもっと多かったですが.
(最終チームが多すぎるのは,良くないと個人的には思います.)

ジュネーブ・ローザンヌの建築家が4組.
スイス国内だと,ギゴン・ゴヤー,クリスト・ガンテンバイン,EM2N.
外国組は,クリスチャン・ポルザンバルク,ベルナール・チュミ,BIG,レンゾ・ピアノ,ノーマン・フォスター,デイビッド・チッパーフィールド,OMA,カリーロ・ダ・グラサ(リスボン),スノヘッタ,隈研吾,スコフィディオ・レンフロでした.
審査委員長は,ドミニク・ペロー.
錚々たる面子ですね.

2017年の10月に結果が出ました.
審査結果はこちら

勝ったのは,
Pierre-Alain Dupraz & Gonçalo Byrne Arquitectos LDA
というジュネーブの事務所.

6位以内の入賞は以下.
2.João Luis Carrilho da Graça / JLCG Arquitectos LDA
3.BIG & Itten + Brechbühl SA
4.EM2N Mathias Müller Daniel Niggli Architekten AG
5.Kengo Kuma & Associates Inc.
6.Office for Metropolitan Architecture (O.M.A.) Stedebouw B.V.

それぞれの案は,先の審査結果のPDFで見られます.

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アルマジロ人間の盗作で青木淳さんが訴えられた,という話が広まったのは,2006年のことだったのだろうか.その時少し話題になって,その後は忘れていた.

今,検索をかけてみると,青木淳さんの側の文章が見つかる.
青木淳さんによる2006年末の『「アルマジロ人間」について』
訴えた側の元所員の小野弘人さん(現 atlier Nishikata)の主張は,当時はウェブサイトがあったようだが閉鎖されている.

そういえばつい最近も,表参道に建つファッションビルのファサードに関して,著作権問題が起きていた.ファサードの素案を作った人がクレジット表記を求めたのに対して,竹中工務店がつっぱねた.

会社に勤務している間に作り出した業績は会社のもの.というのは,青色LEDの発明,404特許の裁判とも通じるのかな.


私の感覚では,建築業界というのは,多分よい意味でも悪い意味でも,とても遅れている業界で,あまり著作権のようなものとは馴染まない.例えば素晴らしい工法を誰かが開発したとして,それは勿論賞賛されるべきとも思うが,一方で,広まってこそ,という気もする.
それに,建築は必ずチームワークだ.どうしても,本質的に,他者との協働が含まれてしまう.(逆に,そのことをわからずに,協働者を道具のように扱う建築家には,私は苦手意識を持ってしまうし,常に責任の所在を追及してばかりの打合せにはほとほと辟易する.)もやっと,みんなで,何かを作り出していく作業なのだ.

「建築っていうのは,おおらかなものなんだよ」

何れにせよ,この訴訟で青木さんも小野さんも痛みを受けただろうことは想像に難くない.今,青木さんの文章を見る限りは,青木さんの言い分は納得できる.それでも訴訟を起こさざるを得ない程の思い入れが,小野さんにはあったのだろう.


建築というものは,本質的に楽天的で健全なもので,
楽天的で健全なもの,に,建築の魂みたいなもの,は流れていきやすいのかもしれない,とふと思う.



本年,初打合せ.
幾何についてと,幾つかの片付けと,伝わっていないことの再説明.
大きなプロジェクトで,人数が増えると,何度も同じことを説明しなくてはならなくなる.
その分,自分の頭の中に保持しておかなければならない情報量も増える.
休みの間に,色んな情報が頭から流れ去ってしまっている.

それでも,にこやかに.
相手には相手の,時間の流れがある.



仕事は,殆どの部分が,交通整理,である.
整理と名の付くものは悉く苦手である.
でも,苦手だとか言っていられない.

まずは自分の頭を整理しないと.



「憶えられないのは,懐かしがらないから.」
というYの言葉は今も有効だろうか.

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昔からそういう傾向はあったが,脳の記憶部位が少しおかしい.
周りにいる人がすごいだけなのかもしれないが,本当に色々なことを憶えられない.
そして,その傾向は,加速しているように感じられる.
感じられるが,いつもそう感じてきたのかもしれない.憶えていない.

しかし最近とみにそう感じるような気がする原因の一つは,
言葉が失われていっているからではないかと思う.

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誰かの顔を思い出そうとする時,その人の写真の顔しか思い出せない.
昔好きだった人や,友達や,家族の顔でさえも.
例えば自分が20歳の頃の,母親の顔を思い出せるか?
そういうのは恐ろしいことだ.
記録されたものしか記憶できない.
記録する時に滑り落ちるもの,書き換えられるもの,は,
削ぎ落とされてなかったことになってしまう.

写真の恐怖は,アウラを奪われること,ではなくて,
現実を書き換えてしまうこと.

でも,写真に撮らなかったら,無かったことになってしまうのかもしれない.

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生きている一秒一秒,全ての時間を記録したい気分だ.
(そうか,だからブログ気分なのかもしれない.)
でも,一秒を記録するには一秒では足りないし,
その記録を振り返っている時間も記録していったら,
抜け出せない合わせ鏡の中に閉じ込められてしまう.

忘れたくないことを,手書きの日記に記している間に,
どんどん書きたいことが溢れてしまって,書ききれなくなってしまう.

そういう砂がどんどん掌から零れ落ちて行くような恐怖.

因みに私は,自分の書いた日記を,殆ど読み返さない.

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母親は今は歳はとったが,もともと記憶力がよく,
記憶がストーリー仕立てになっている人だ.
そのストーリーを聞かされる度に,それが私の中に事実として溜まって行く.
(しかし,多分幸運なことに,どんどん滑り落ちていく.)

動物の古い頭蓋骨に触れながら記憶を話し,その部位が光っては消えていく.

私の,自分の中の記憶は,もっと一瞬の画像であり,ひとかたまりのものだ.
しかしそれは脆く,崩れやすく,すぐに他のもので置き換えられてしまう.

記憶を思い出す度に,記憶の映像が,アイソメトリーになっていく.
画像で説明して整理してしまうからだ.神の視点.

過去を振り返るのは,だからコワイ.
でも,振り返らないのもコワイ.

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私の記憶が映像か音数に頼っている所為か,
記憶の順番というのも,とても苦手だ.
例えば,四谷で花見をした(つい最近Oと話をしたので,ある一枚の映像を思い出した)のと,
海(それは大磯なのか岩井なのか)で花火をしたのと,
どちらが先なのかわからない.
彼女に最初に会ったのがいつで,最後がどこだったかも.

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友人TSの最初の記憶.部屋で反響する音で遊んでいたという,音の記憶.

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私が友人に基本的に正直であり,比較的あけひろげであるのは,
彼らに私の代わりに憶えておいて欲しい,と思っているからであり,
それは,私を,というより,いとおしい事実たちを,である.

でも,彼らの見ているものは,私の見ているものと,違って当り前で,
しかも,どんどん変わっていく.

旅行に行った後に,会食した後に,「たのしかったね」と振り返ると,
まるで本当にたのしかったかのようになる.
多分,たのしかったのだ.きっとそうだ.

それでも時々,ぎょっとすることがある.

「あの時僕らは仲良しだったよね」
うそだよね.
うそ,だよね?
うそ,だっけ??

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もっとひとつひとつを大切にしたら,懐かしんだら,
忘れたくないものたちを,忘れずにいられるんだろうか.

昨日のことを何も覚えていなくなった今日の私は,私と言えるのだろうか.

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最初の,言葉の話に戻ろう.

考える手段の一つである言葉を失うことで,
自分の中を通り過ぎていくものたちが,整理されずにすり抜けていってしまう感じ.
言葉にして,物語にして,残したところで,それがそのままではないのは確かだけれど,
それでも,某か,ではあるような気がする.

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記憶にある限り,スリに遭ったのは2回だけれど,
記録によると,財布をなくしたことがあるらしい.
自分のこととは思えない.

246で統一教会の人に話しかけられた回数も,牡蠣にあたった回数も,
今さっき書こうと思ったことも,
両親や友人が私の為にしてくれた数々のやさしいことも,
泣きたいほどに,どんどん忘れていってしまう.

歴史を感じられる人,自分で物語を語れる人が,羨ましい.

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それでも,まだ,困難はあっても,生きていくことはできる.
少しのエッセンスだけだけれど,身体の中に取り込んでしまうこともできる.

取り込まれたものを書き換えるのは,少し困難だ.

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必然的に,私にはほぼ現在しかない.
常に色々なものが同じ平面に重なって多色になっていて,
それはそれで,美しくもあるのだけれど.
でも,それでは積み重ならないし,減っていってしまう.
もう少し言葉の近くに戻りたい,と思う.

会う人毎に Gutes Neues で始まるのは気持ちがいい.

まだ少し休暇ボケだけれど,
今年はよりじっくりと,周りに眼を配りながら.
ドイツ語も粛々と.

Tのファサードが付いている.
インフルエンザの余韻の咳が収まらない.

スイスの独立事情などをRから聞く.

年始早々嬉しい知らせが届く.
自分にできることを,最大限,誠実に.

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