忍者ブログ

<< 04  2025/05  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31    06 >>

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

高橋源一郎の本に,
英霊が話せるとしたら,何を話すだろうか,というトピックがあって,
つらつらと想像したこと.

---

この世界には,時というものがない.
時というのは,生きているものだけのものだ.
時の中に生きている時には,その一瞬だけしか見えないものだが,
ここでは全ての時が同時に存在している.

更に言えば,「私」というものもない.
だから,「私たち」というのもしっくりこないのだが,便宜的に.

ここでは全てのものが,渾然一体となったスープのようになっている.

かつて生きていた.或いは今後生きる.これは同じことだ.
ここでは,水晶の玉の中の世界のように,全ての時の流れを掌の中に見ることができる.

時々気紛れに,私たちの一部が,個体として時の流れる生の舞台へと入り込む.
入り込んだ途端,時は断面になってしまって,ここでの記憶は全て失われる.
そして,個体としてなにやら必死に,楽しんだりもがき苦しんだりする.
時々,生きている人間が,舞台など見ているのを見ると,笑ってしまう.
それはまさに,ここで私たちがしていることと入れ子になっているから.

時,というルールは,変化する,というルールと同値だ.
変化するものは,やがて,失われる.
そして,全てが一つの,変化のない,ここへ戻ってくるのだ.

生きている時は,協力する個だったものも,対立する個だったものも,
ここに戻ってくれば全てがひとつ.
だから,時の中で,愛し合うも,殺し合うも一興.


ここには会話はない.
言葉は,何かを伝える為のものではなく,
ただ,このあるがままを描写するためのものだ.




PR

 Post your Comment
Name
Title
E-mail
URL
Comment
Pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
 calender
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
 track back
 search in this blog
Script:Ninja Blog  Design by: タイムカプセル
忍者ブログ [PR]