半年以上間が空いてしまいました.
その間に,東日本大震災があり,今日は東京は台風直撃で大変だそうです.
つくづく,日本の自然環境は建物に対してとても厳しいなあ,と思わされます.
東日本大震災直後は,衝撃的な津波映像が世界を震撼させ,
あの日本の技術をもってしてもこれでは耐えられなかった,かわいそうに,
と沢山の支援を世界から受けた訳ですが,
その後の福島原発事故の処理の人的な問題が,世界の共感を一気に離れさせました.
放射線被曝の問題は,今もはっきりとした真実は誰にもわからず,
それが故の肥大した不安,その裏返しとしての見えない振りが蔓延しているようです.
一方で,莫大な面積の被災地の復興は少しずつ進められ,
友人も何人かボランティアに行ったりもしているようです.
私も微力ながら募金活動を行ったり,自分で募金をしたりもしています.
東京都知事選があって,石原さんが再選し,首相が菅さんから野田さんに代わりました.
日本の国内でどのような変化が肌に感じられるものとしてあるのかは遠くからはわかりませんが,
私個人は,政治に対して無関心であるのはもう大人として通用しないな,と感じています.
かと言って,これまで完全な無関心を決め込んできた為に,最初の踏み出しはなかなか難しいものです.
自分で情報を確認することは大切,です.
しかし,情報氾濫時代,どこから,誰から,情報を得るのか,というのはとても難しい.
インターネットは能動的な情報ツールなので,自分の調べたものしか結果として出て来ません.
つまり,見たいものしか見えない.
ツイッターなどで自分の気に入った発言をする人をフォローしていけば,
必然的に自分の気に入った情報ばかりが氾濫しているように見え,
同じように考えている人がこんなに沢山いるのに,なんて世間は馬鹿なんだ,となってしまいがちです.
気を付けて,反対の人の意見も見ようとしてみますが,何せ体力のいること,
学生やニートの方のような時間のある方ならともかく,
自分のエネルギーの大半を仕事に注ぎ込んでしまうと,
その他のことにエネルギーをなかなか割こうという気になれないのも事実.
本当は,その情報の取捨選択,噛み砕き,両翼の意見の陳列,
そういうことこそを,マスメディアにはやっていただきたい,
そこにこそ,情報を見わける目を持った人間にしかできないクリエイティヴな仕事があるのだ,と思うのですが,
そう思ってしまうのは,古い甘え体質に過ぎないのでしょうか....
誰でも知ろうとすればある程度のことは知ることが可能である,ということ自体が,
不正や偽造への抑止力になることはあるとは思います.
今はまだ,信頼できる大人なメディアに私が巡り合っていないので,
辟易しながら少しずつ目に入る情報を集めていくしかないようです.
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