自分では当り前と思っていることも,周りを見渡すとそうでもない,ということはそこそこあるだろう.それでも自分は間違っていない,と思うことも.
私にとって,男らしさ・女らしさを仮定しない,ということはその内の一つだ.
自分の周りには自分に女らしさを押付けてくる人は殆どいなかった.中学・高校は女子高だし,その後の人生でも女性らしさを求められる経験は殆どなかったと思う.それでも,或いはそれ故,女らしさ,という概念がとても苦手だ.
自分の場合,多分特異的なまでに,現実の中で誰かが性別らしさを押付けてくることは殆どない.時々,女性だから得することもあるし,女性だから損することもある.その事実自体に文句を言うつもりもない.女の形をしているだけでそういう風に扱いたくなってしまう人がいる,ということを変えることに労力を費やしたいと思う程,損ばかりしているとも思わない.
ただ厄介なのは,自分の中に内在する声だ.「お前は女として失格なのではないか」
それは,社会の無言の雰囲気の中で生まれたものが内在化されたもの.あからさまな女性差別,女性優遇よりも,そういう雰囲気を作り出す言説には,アレルギー的に反発したくなる.例えば,
「女だもん,お洒落を楽しまなくちゃ」
「女だもん,甘いものが好き」
「男性化している女性は見ていて痛々しい」
そういう言葉は,女を貶めている意図は全然ないのはわかるけれど,「女らしく」あれない人にとっては,お前は女として失格だ,という呪いに響くのだ.
女はお料理ができる
女はきれい好き
女はマルチタスクが得意
女はお洒落や美容が好き
女はかわいいものが好き
女は言語能力が得意で論理的思考が苦手
女は感情的
女らしい和やかな振舞い
女らしい言葉遣い
女らしい心遣い
感情的,以外に当てはまるものがないような自分は,女からつまはじきにされたように感じてしまう.でも男にもなれない.人間として宙ぶらりんに感じてしまう.
私から見ると男女区別派の友人がいる.彼女は女性は女性らしく振舞った方がいいという言葉を,多分無意識に言う.奇しくも彼女は「自分は「「女性」実績に自信がある」と言っていた.私にはそんな自信は微塵もない.
多分,子供を生んでいればそれだけで,女としてはアガリと思えるのだろう.男には絶対にできないことを成遂げたのだから.でもその免罪符がない状態で,どうやって自分を女と認められるんだろう.
本当は多分,自分は女であると規定する必要なんてないのだ.自分は女であるより前に自分で,子供さえ生まないのなら,女を欲する異性の同意を得たいと思わないなら,女になる必要なんてどこにもない.男性が男になる必要がどこにもないのと同じように.
子供を生んだら女という種別.子供ができたら親という種別.それ以外には要らないじゃないかと思う.
それでもそんな風には割り切れなくて,自分の内側にも,かわいいと思われたい,だとか,自分の性別らしいことは素敵なことなんじゃないか,とか,そういう社会の雰囲気が内在化した声はある.それを助長するような,「女らしさ」を語る言説は,男女どちらからでも,悪い意図が一切なくても,呪いとなって蓄積してしまう.そういう内側からの縛りが,息苦しい.
そんな勝手な息苦しさは自分の中で処理するのがいいんだろう.
でも,こういう息苦しさを感じる人が少しでも減ったらいいなとも思うから,そういう言説を見かけた時は,言葉にして反発する.
自分に女の子が生まれたとして,どうやって育てようか.
お料理や家事を一通りできるようにして,私のような「女らしさ」の呪いから来る生きづらさを感じないようにしてあげるのがいいのか.
でも,そうじゃないよね.本当は「男らしさ」も「女らしさ」もくだらない.そんなことは糞くらえだ.
自分の力で生きていけるだけの生命力と生活能力を,性別に関わらず伝えてあげる.それだけが大事な筈.
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