複雑な幾何形状の建物について書いて,
その後にクラシック音楽について書いたら,
なんだか少しもやもやしてきたので,もう少しだけ書いてみます.
ショパンのピアノ曲を聴いていている時に,私の脳内では,
まずピアノの音はドレミの言葉で聞こえていて,
次の音を予測するような感じで聴いているようです.
弾いたことのあるやよく聴いた曲なら勿論,
よく知らない曲でも,それなりのメロディなら,次の音を予想しながら聴いているようです.
逆に,知っている曲の別の人の演奏だと,タメが違っていたりして,違和感になります.
違和感が心地いい場合もあるし,そうでない場合もあります.
何となく,(専門以外のことで)心地いいというのは,
予想の範囲をそれ程大きく外れない,しかしたまに新しいことがある,
というような状態なのだろうか,と思われます.
ショパンは,人間にとってある程度普遍的に,
どういう音の連なりが心地いいかをよくわかっていて,
そういうものを作ろうとしていて,
だからこうして長い事愛されてきているのでしょう.
では,心地いい建築ってどういうことになるんだろう.
先に書いたバスターミナルについては,
現代建築に関わるものとしては,
作り手の考えの道筋が読めるようで(勿論間違えているかもしれませんが)
一度目に見る時は面白く思います.
でも,毎日使うターミナルだったらどうなんだろう.
心地いいのかなあ,と.(批判的なニュアンスではなくニュートラルに.)
或いは,言い換えると,心地よさを目指しているのかなあ,と.
設計に関わった人たちも,原理は単純とは言え,あの形状を決めるには苦労したでしょうし,
出来た時は嬉しかっただろうな,と思います.
原理を考えている時や,形状をいじっている時も,楽しかったでしょう.
施主の方も,ちょっと普通じゃないものを作った,町の人の誇りになるといいな,と満足したかもしれません.
更に,少なくとも,この変わったバスターミナルが,
何の変哲もない,ごく普通のバスターミナルよりも心地よくない,ということは
(機能的な問題がない限り)ないだろうな,と思います.
建築の現代社会の中での意義という意味では,それだけで十分,とも言えます.
私たちの営みは,一義的には現在生きている私たちの為なのであって,
関わった人たちが幸せになっているなら,それでいいのです.
でも,ここではもう少しつっこんで.
私たちは,何を目指しているのだろうということ.
スイス人の同僚と前に話したのですが,
彼女は,
コンセプトが面白くても,温熱環境や光環境を犠牲にしていて住み心地が損なわれているものは好きになれない,
それよりも,特に奇抜じゃなくても窓が大きかったりする住み心地のいい家に住みたい,
と言っていました.
因みに,彼女は子供も3人いる家族を大切にしている人です.
私は,窓が大きくて暖炉があって子供が走り回ったりしていて,という空間を
気持ちがいい,という人がいるとは知っていても,
そんなものを作ることに人生の全部を賭けたい,とは,どうしても思えないな,と思っていました.
そういう既存の気持ちの良さは,すぐに慣れてしまうし,
逆に,少し不便だとしても,その不便さにだってすぐに慣れられる,
寧ろ大事なのは,最初にどういうものを志向していたか,で,
そこに面白いコンセプトがあれば,他のことには少々目を瞑れるな,と思っています.
勿論,今の私に家族がいなくて,仕事ばかりしているから,かもしれません.
そもそも日本の空間は心地よくない空間がかなり多いと思いますし,
そういう心地よくなさに寧ろ馴染んでいて,
所謂喧伝されているような心地よさは,寧ろそれ程心地よく思えない,ということなのかもしれません.
面白い,という心地よさ.
でもその難しさは,現代美術が抱えている問題と同じ,
面白さというのは,文脈にかなり依存していて移ろいやすいということ.
ある時に新しかったことは,後から見たら,当たり前かもしれない.
その時の新しさの意義を,歴史を学ぶことによって知ることはできても,
その時の新鮮な面白味にはなりにくい.
では,面白さというのは,刹那な価値でしかないのでしょうか.
(それはそれで,美しいありようだと言い張ることもできるかもしれませんが.)
でも,何かもう一歩進んだものがある,ような気がしているのです.
昔新しくて,今は当たり前になってしまった歴史的なものでも,
極,限られたものだけだとしても,やはり何か,凄みを感じるものがあるように思えるのです.
それにはやはりどこか,
面白味の方向性の中に,ただ新しいだけではない,
人間とはどういうものか,ということへの普遍的な眼差しを含もうとしていること,
というようなことが大切なのではないか,という気がしています.
今はまだ私たちは知らない,
既存の価値の中にはないかもしれないけれど
でも,実は,人間にとってこういうもの「も」心地よいのだ,
というような示唆を含んだコンセプト.
...
大仰な割に,当たり前のことしか言っていないような気がしてきたので,
今日はこのあたりにしておきます.
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