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今年の1月に,シャルリ・エブド事件がありました.
イスラムに対して不遜なイラストを掲載したことに対して,出版社が襲撃された事件です.

この事件に対して,"Je suis Charlie"というプラカードで共感を示す現象が起こり,
表現の自由を守れ,という大々的なデモも行われました.


私は,シャルリ・エブドのイラストは,下品で失礼だと思います.思いやりもない.
私自身は,そういう表現は選択しないでしょう.
けれども,そういう表現を,表現で批判するのではなく,
命を奪うという脅迫を行うということ,
そうされることによって何かに怯えたり,
怯えているということに気付かないで同調圧力のようなものに負けて,
自分自身が自由に考えられなくなってしまうこと,
そういうことは,本当に怖いと思うのです.
自分自身にまず,流されやすい弱さのようなものがあるし,
それが他の人にも起こって社会の流れのようになってしまうと,止められなくなってしまう.

だから,シャルリ・エブドのような表現媒体は,社会にあって欲しいと思います.
それが批判の対象としてであっても.


今回のパリのテロの後で,彼らが載せたのは,
テロリストに銃弾で撃ち抜かれながらシャンパンを飲んでいる人のイラストでした.
「奴らは武器を持ってるぞ.」「知るか.我々にはシャンパンがある.」
流石だな,と思いました.
テロに対して,戦争と捉え空爆を行うことへの批判にも見えるし,
テロが目的とする社会不安に日常を維持することで対抗するのだ,という意志にも見えるし,
テロが現実に起きてしまったら対抗しきれない弱さへの自嘲にも見える.


テロは国家に対する戦争行為に等しいとして,
国家武力でテロリストが潜伏していると思われる地域を空爆し
一般の人たちも殺してしまう.
それを,世間の空気が後押ししてしまう.
これは,911の後イラク戦争に突入していったアメリカと同じに思えます.
そういう,社会の流れに,皮肉で石を投じていくのが,彼らのやり方.




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