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バーゼルではここ3日間,新規感染者が出ていないらしい.規制緩和を行うと少し揺り戻しはあるのだろうか,このまま段々もとの生活に戻りそう.

まとめずに散漫に.

コロナ騒動の間,なんだか随分ミスチルを聴いている.久しぶりに.ジャズやプログレなんて聴く気になれなくて.椎名林檎ですら.耳に馴染んだ日本歌謡のメロディ.特徴的な声.能天気じゃないけど前向きな王道の歌詞.ずっとヒットチャートにいてくれると,一緒に育ってきたような気分になる.間違いなく我々の世代の音楽で,特別なんだろう.椎名林檎の我が世の春感とはまた別に.
ミスチルと言うと必ず思い出す友人がいる.彼は若い頃からいつも安定感があって,彼の別の友人に言わせるとそうじゃないって言うから,私から見えている面がそうだってだけなんだろうけど.色々大変なこともあっても,彼らしさを発揮して進んでいるようなのが嬉しい.

原稿を出して随分気が楽になる.
文章のうまい人に憧れる.昔は自分の文体があったように思うけれど,年とともに身体に合わなくなったり,書かなくなって書けなくなったり.
自然に考えていることしか書けない.自然に考えていることがそのまま建築のことになる人もいるんだろうけど,私はそういう風でもないみたいだ.建築のことを考えるのは好きなんだけど.


生活のイメージ.

外出自粛になって,家での素敵な過ごし方なんて投稿しているのよく見るけれど,なんで家で何かする時間が増えているんだろう.みんなそんなに仕事以外で外出してたのかな.最初のころ,今でも少し,そういう素敵な生活の投稿で凹んでいた.割り切る.素敵生活に限らず,自分と向き合う時間が増えた,みたいな人は多いように見える.

自宅にひとりでずっといて,それでいてまともに活動している,というイメージがどうしても現実的に思えない.自分はそういう風に動くようにできていない.きちんと片付いた家で,きちきちと趣味事なんかして,日々きちんと暮らす,って,画像としては素敵な気もするんだけど,その連続を動画で考えると,想像だけで息が詰まりそうな気がする.自分には合っていないということなんだろう.

取敢えず,徹底的に家ではたらくのは向いていないということがわかった.シェアアトリエというのは,適度に話もできて,他人の目もあって,とても向いている感じ.

だとしたら,家はどういう場所にしよう?原稿を出してしまったら随分すっきりしたみたいに,片付いたら片付いたで,次の一歩を考えることになるのは見えているのだけど.

家では生活しない,風呂・洗面・洗濯・所持品のストックに限る,と割り切るのはどうだろうか.
或いは,明日の自分と一緒に暮らすイメージ,というのはどうだろう.



何故かふと,やさしくありたいな,とまた思った.色々な考えに寄添えるというイメージ.


繰り返し見る夢.空を跳躍する夢.とても軽やかに,なんということなく.


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日本でもコロナ感染者が増えてきています.医療関係者からは既に地獄との声も.情報を読んでみると,マスクやガウンが不足しているから,というのが理由なようです.感染者が運ばれてきて,防護が十分でないかもと思えば,そりゃ怖い.

それでも,ヨーロッパに比べれば,遥かに感染者・死者の割合は低いです.今の所.トリアージを余儀なくされたイタリアに比べれば,状況は遥かにましな筈です.人口当たりのベッド数もどこよりも多い日本.マスクやガウンを既に状況の落ち着いた中国から輸入すれば,まだまだコントロール下と言えるのではないでしょうか.

にも関わらず,不安に駆られているのは,政府が信用できないからというのも大きいのではと思うのです.情報を公開して,何に優先順位を置き,どういう理由でどんな政策を作っているのか,が共有・理解されているだけで,ずっと安心できるものだろうと思うのです.

コロナに感染してしまうのも大変ですが,不安に駆られながら生きるのも大変ですよね.

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生きる,というのは,ただ息を吸って吐くということではない筈だ.家にずっと閉じこもって,それを心底楽しめる人はいいが,そうでない人もいて,自分は後者だ.ある程度のリスクを取りながら,バランスを取りながら,生き生きと生きていくことを考える.

変化は待っていて訪れる,こともあるのかもしれないが,変化のチャンスが通り過ぎて行ってしまうこともある.自分から決断して,行動しないと.

人によって,コロナに対する危機感は違います.危機感の度合いは,その人の得られる情報(言語的にも縛られています)や社会的な背景,周囲の人たちの反応の仕方に拠っています.

自分が気を付けていることは,なるべく科学的な情報を集めること,それに基づいて何をよしとし何をだめとするかの自分の基準を作ること,他人に対しては余程のことが無い限り押し付けないこと,です.特に他人が自分より緩い基準で行動していると,反発したくなったりもするのですが,何が正しいのかがわからない以上,目くじらを立てるのはよくないなと.


それでも,悪気なく正しくない情報が流布しているのには辟易します.肺炎患者が来たのにCTを撮っただけでPCR検査をしていない!と騒ぐ看護婦さんを見かけましたが,間質性肺炎像でなければPCR検査は不要な訳で,医者の判断は正しいと言えます.その程度は一般人が調べてもわかることです.本人は不安で発信せざるを得なかったのでしょうが,医療関係者の発信でもこのレベルなんだなと.
そういうところを切り分けて,論理的な情報を発信するのがマスコミの役目かと思うのですが,マスコミの情報も不正確だったりするようです.識者に取材する特権があるのですから,きちんと考えてなるべく正確な情報を発信して欲しいものです.

情報や意思疎通を透明にすることの重要性も感じます.正しいことは誰にもわからないのは仕方がありません.けれど,何をして,何をしていないのか,それは数字でどの程度なのか,どういう根拠でどのような方針を決めたのかを,共有できているのとできていないのとでは大違いだなと.何もかもを垂れ流すのも違うとは思いますが,お互いの信頼を築くのに,嘘がないということは大切だと思うのです.



16日に政府発表があって,段階的規制緩和について発表されました.それを受けてうちの事務所では,来週から通常営業にできるだけ戻すそうです.個人的な感覚としては,ちょっと早いかなとも思いますが,いずれ戻さなくてはなりません.

建築家の方と話すと,テレワークで効率が上がったという人も多いようです.無駄な会議がなくなったから,と.我々エンジニアは逆の感触を持っています.これは,建築家はもともと会議が多いのに対して,エンジニアはそうでもないということと,使うプログラムの種類が多くてテレワークだと手間が多いということが理由として考えられます.

テレワークは何と言ってもコミュニケーション手間が増えるので,通常営業に戻るのはいいことなのですが,このまま何も変わらずにもとに戻ってしまっていいのかと,少し焦りのようなものがあります.今までのやり方をアップデートする折角のチャンスをふいにしてしまうのではないかというような.

このコロナの非日常が始まった当初,情報を集めるのに必死で,情報疲れしたりしながら,我ながら非日常に少しぴりぴりしていたと思います.東日本大震災後の日本の方もそうだったんだろうなと思いながら.その時,不思議と変拍子の曲など聴く気にはなれなくて,ミスチルの懐メロをずっと聴いていました.最近は椎名林檎程度の攻撃性は聴けるようになってきました.感覚が慣れて,日常になっていくということ.

日常の慣性力,惰性はすさまじいものがあります.自分から何もしないでいると,前と同じ日常のようなものが戻ってきてしまいそうです.自分の生活だけでも,少しでも刷新できればいいのですが.


スイスでは今もまだ公式な外出禁止令は出ていません.
それは,周辺国で外出禁止令があまりうまく行っていないという事実を見ての判断とも言えますが,
公式発表では「我々はスイス的な方法を取る」とのことでした.
その意味は,スイスの人たちの持つ,自分達の社会は自分達でなんとかしていくのだ,という風土に思えます.
国民皆兵で,直接民主主義の政治システムを持ち,一年に4回ほども国民投票をする風土.
外出を控えた方がいい理由がわかれば,罰則が無くても,自分たちでそのように振る舞う.
今のところ,外出禁止令が出ている国と同じ位の効果は出ているようです.

それは勿論国の規模が小さいから,大都市がないから,できることなのかもしれません.
でも,スイスってなかなか素敵な国だなと思ったのでした.


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