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完璧な完璧主義者なんていやしない.そこそこ完璧主義の傾向がある人がいても,そこそこ,は,完璧と相容れないので,つまるところ誰も完璧主義者なんかじゃないのだ.

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材料のことが少し気になっている.この位プリミティヴな感触から結局は始まるものなのかもしれない.

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先日観た映画に,モロッコの風景が出てきた.
数年前に旅行で行った時を思い出す.イスラムの人たちは,お金や誠意に対する概念が全く違う.きっと旅行ではわからない他の違いも沢山あるんだろう.個人による差はあるに違いないが,集団の文化の力.コロナの影響でスイスでもとうとう現金支払いが減り始め,カード決済や携帯決済が増えてきた.お金は重量を持たない数字.お金の概念が転換しつつある.

砂漠の風景が好きだ.
長いこと,一生で行ってみたい場所は白夜と砂漠と言ってきて,どちらも達成できたけれど,どちらももう一度行きたい場所.家に持って帰ってきた砂漠の砂.
何度でも繰り返し行きたい場所としては,海もあるけれど,海の近くには住むことが可能な気もしないでもないが,砂漠や白夜の町には住める気がしない.完全な非日常の場所.砂漠は常に動いていて,砂漠はいつも鳴いている.

砂漠の下には何があるんだろう.

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昨日・今日と幾つかのことを片付けた.
あぁ,今日はAの誕生日だ.おめでとう.いつもありがとう.

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ここでは時折深夜に一瞬雨が降る.
寝静まった町に,人知れず降る雨の音を聴く.


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友人Mは,とてもやさしい.

彼女が,連合いが亡くなった方に,服の遺品整理をして欲しいと頼まれた.娘さんがいるのだし,家族がやればいいことだとは思うけれど,心情的に難しいこともあるのだろうとは想像できる.彼女は快く引き受けた.多分処分するべき服がそこそこ出るだろうと思われるが,当人は車を保持しているようなので,袋に詰めて服のリサイクルボックスに持っていけばいい話である.でも彼女はそこまで一緒にやってあげようと言う.確かに,一人でやれば単なるタスクも,みんなでやればイベントになる.あぁ,こういう人がいるんだなあ,こういう人にやさしくしてもらって自分は生き延びられているんだなあと思う.自分も余裕がある時は,彼女のようになれたらいいと思う.


誰かと何かをする時に,自分は比較的オープンに話して進めていきたい方だ.けれど,コミュニケーション自体も手間なので,ある程度投げたらよきに計らってほしい,という人も一定数いると思う.お互いの性質を見極めつつ,ある程度求められているものを察知して動いていくのは簡単じゃない.あまり期待されていない時には,一歩引いて言われたことだけやるのに徹するのも,大事なことなんだろう.
やさしくすること,自発的に何かをしようとすることとのバランス.
いつになっても,人間的成長への課題は尽きないなあ.

毎日同じ人に用事もないのに会うと,その人の生き方のようなもの,言葉にして,表にするのではないもの,晴れの顔では見えないもの,が見えてきて,面白い.

Mと毎朝散歩をしているが,彼女は本当に忙しい.毎日いろいろな予定が入っている.いい悪いではなくて,自分はそういうのは向かないなあと思う.週に仕事以外の予定が3つも入っていると,もう少しパニック気味になる.何かを始めたらそれを続けてずっとやり続けるのは好きで,あまり切替したくない.

締め切り,というのは他人の目の一種だと思うが,他人の目がないと自分は働かないなあと思う.動画を見て時間を過ごしてしまったりする.別に仕事をしたくない訳じゃないんだけど.その時の興味に流れるのも時々悪くないが,やるべきことをやるのも大事なので,自分はそういう人間だということを認めた上で,うまく自分を操れるようになれたらいいと思う.

体調が一昨日・昨日とイマイチで,あまり生産的でなかった.しかし,そういうものなのだ.大事なのは,また次の日の今日,ちゃんと始めることだ.

取敢えず明日までに本を読む.

知合いで素敵な文章を書くパリ在住の方が,外出禁止令下での自宅軟禁の生活での心境の変化について書いていた.大人になるにつれて獲得してきた気分転換の手法がだんだん効果が薄まっていき,最初の頃目新しくテンションの上がっていた普段しないような手料理なども,テンションが上がらなくなっていき,無気力になっていく,という話.

自分は最初の自宅隔離で懲りたのと,外出禁止のかからなかったスイスに暮らしているので,外に出て働く暮らしをずっと続けることを選択した.ホームオフィスなんて絶対できない.自分は家に居たらだめになる,というのを身体で感じている.子供がいるから,とか誰にでもわかるような説明はできないけれど.
自宅にずっといる.思えばそれは,ドイツにいた頃の生活だ.外部との接触が殆どなく,誰とも話さず,誰にも求められず,日々を生延びる.鬱のようになったが,ドイツ語で医者に説明できる気もせず,日本の精神科医にもかかれず,日本に帰ることもできず,どうしていいかわからないまま続く低温で灰色の毎日.

柵が解かれていくと,生きることが裸になっていく.

生が剥き出しになってきた時に,自発的に色々動きだせる人もいるんだろうし,性的衝動とか「動物的」になる人もいるのかもしれない.けど,低温の鬱状態になってしまうタイプの人も一定数いるんではないだろうか.人間は社会的動物であるってそういうことだろうか.外に出られようと出られまいと,人生は本質的に生まれてから死ぬまでの時間の暇つぶし.社会のために,誰かのために,なんて正当化も,暇つぶしのための言い訳.そんなものどっちだっていい.生きるというのは本質的には意味があるものではなくて,無に帰っていくだけなんだ.だからこそ,できれば生き生きとした時間が多い方がいい.気を紛らせながら,できるだけ楽しみ,いとおしみ味わえるような時間を増やすように,工夫していく.その積み重ねを生と呼ぶんじゃないだろうか.


感染症は接触が問題なので,日常的な行動範囲毎に政策を決めるべきだし,統計もあまり大きな単位でとっては意味がないように思う.人口当たりで見ると中国なんて被害が少ないように見えてしまうが,あのような大きな国と小さな国を人口当たりで比べてもあまり意味がないのではないだろうか.

それはそうとして,各国の政策は微妙に異なっている.学校の閉鎖の有無,店舗の閉鎖の有無,外出禁止の有無は,生活に大きな影響を与える.
面白いのは,どの国に住んでいる人も,日本以外は,自国の政策に概ね満足しているように見えることである.
フランスのような厳しい外出禁止令は,そんなものがなくてもましな結果を出している(それは医療崩壊の有無による)スイスからすると,なんでそんなものが必要なんだ,と見える.イギリスの政策は,どうしてだかわからないけど,今やヨーロッパで一番の死者数を出しているのを見ると,間違っていて批判されて然るべきだろうと思われる.しかし,そういう声はあまり内部からはネット上では聞かれない.ネガティヴな発言は自粛されているせいかもしれない.
かく言うスイスも,人口当たりの死者数は,医療崩壊しているフランスの半分ではあるが,ドイツの倍である.(USAやロシアは環境が全く違うので,この際ヨーロッパに限って考えるとして,ベルギー,スペイン,イタリア,UK,フランス,スウェーデン,オランダよりは少ない.)それでも,スイスでの感染症は収まってきていると私の周囲は感じているし,あまりぴりぴりした雰囲気もない.外出禁止もかからなかったし,いい国だ,と思っている人が多いように思う.

それに比べて,日本は遥かに遥かにいい数字を保っている.にも拘らず,国民は悲観的だ.

こういうことは,情報と政策の方向性の透明性から来ているんではないかと思う.安心,というのは,無暗に専門家が大丈夫だと言ったことを信じるということではなくて,自分達がきちんと情報を知らされていて,どういう考えのもとに何をしようとしているかわかっている,ということからくるんではないだろうか.


各国で感染者追跡システムの開発が進んでいる.Google+Appleも共同開発しているらしいし,EUも開発してる.スイスも独自で開発している.個人情報を守るための方策も発表され,登録は任意となっているのが救いである.こういうことに関しても,オープンに,ヒステリックでなく,議論が行われている.そういう点が信頼できると思う.嫌だと思ったら,嫌だと話す.そういう世論に加担できるという感覚.話すことで,考えがまとまったり変化したりしていく.

日本にもそういう風土ができればいいのに,と思う.考えは,最初は拙くて当たり前だ.お互いに鍛錬しあっていけばいいと思う.


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