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新型コロナ感染がスイスで本格的になってからひと月半。

パンデミックが始まった頃、世界の誰にも、どうすればよいのかわからない状況の中、各政府は方針を決めなければなりませんでした。イタリアは自国の状況悪化に伴ってハードロックダウンをしましたし、フランスも経済活動は続けられるものは続けていますが、厳しい外出禁止がかかっています。イギリスは当初規制をかけずに集団免疫の道を取ろうとしましたが、医療崩壊が予見された為に方針転換。逆にスウェーデンでは規制をほとんどかけず、国民の自主性に任せながら集団免疫を目指しています。スイスは、外出禁止はせずに、店舗や学校を閉鎖して今まで来ています。

WHOは当初、マスクは感染拡大防止に役に立たないばかりではなく逆に害になりうる、と発表していました。しかし、ここに至って、ヨーロッパ諸国はロックダウンの規制緩和に伴った外出時のマスク着用の義務化を進めています。スイスの保健局BAGのトップ、ダニエル・コッホ氏は未だに義務とは言いませんが、とうとう社会的距離の確保の難しい公共交通機関などでは着用を「推奨する」まで来ました。
マスクはそもそも不足していて、医療機関にもまわりきらないのではという話もあり、政府が一般人に着用義務化をできなかったのもうなずけます。しかし、着用には害があると公式発表していたことで被るコロナいじめもありました。

昨日、ダニエル・コッホ氏は、子供は感染自体がかなり限られているので、祖父母と会ってハグしてもよい、と発表したようですが、子供には感染する確率が低い、という研究には賛否あるようです。

BAGを批判するというよりも、わからない中で政策を策定するので間違いもあるのは仕方ないと思います。スイス政府は基本的にうまくやっている方だと思いますし。

ただ、権威だからといって情報を鵜呑みにせず、自分で調べなくてはならない、しかも今の時代ならそこそこは調べられる、のだと。これからの権威というのはそういう精査の目に晒されているんでしょう。国民の側もそれをするべきになっていくのかなあとか。








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昨日深夜に自転車で帰宅すると,草むらでがさごそと音が.ハリネズミだった.

コロナの影響で町に人が減ったからなのか,野生動物が身近までくることが多くなっているような気がする.外国でもそういうニュースがあった.

人類がある日突然滅びたら,そこは動物たちが闊歩する都市になるんだろうか.宮崎駿のアニメのような豊かな荒廃のイメージ.


バーゼルはもともと規模の小さい町なので,感染症が拡がってもそれ程影響は出づらいのかもしれない.通勤はもともと10分だし,自転車だって徒歩だってなんとかなる.店が閉まると言ったって,そもそも大した店がない.娯楽だってそう.旅行に行けない以外は,大して生活は変わらないのだ.
大都市は,小さな都市に憧れていく,んだろうか.自分は大都市ならではの無関心さとかアクティヴさとかバラエティの豊富さが好きだけれど,それは何か別の形に代替されていくんだろうか.


日本でもコロナ感染者が増えてきています.医療関係者からは既に地獄との声も.情報を読んでみると,マスクやガウンが不足しているから,というのが理由なようです.感染者が運ばれてきて,防護が十分でないかもと思えば,そりゃ怖い.

それでも,ヨーロッパに比べれば,遥かに感染者・死者の割合は低いです.今の所.トリアージを余儀なくされたイタリアに比べれば,状況は遥かにましな筈です.人口当たりのベッド数もどこよりも多い日本.マスクやガウンを既に状況の落ち着いた中国から輸入すれば,まだまだコントロール下と言えるのではないでしょうか.

にも関わらず,不安に駆られているのは,政府が信用できないからというのも大きいのではと思うのです.情報を公開して,何に優先順位を置き,どういう理由でどんな政策を作っているのか,が共有・理解されているだけで,ずっと安心できるものだろうと思うのです.

コロナに感染してしまうのも大変ですが,不安に駆られながら生きるのも大変ですよね.

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生きる,というのは,ただ息を吸って吐くということではない筈だ.家にずっと閉じこもって,それを心底楽しめる人はいいが,そうでない人もいて,自分は後者だ.ある程度のリスクを取りながら,バランスを取りながら,生き生きと生きていくことを考える.

変化は待っていて訪れる,こともあるのかもしれないが,変化のチャンスが通り過ぎて行ってしまうこともある.自分から決断して,行動しないと.

人によって,コロナに対する危機感は違います.危機感の度合いは,その人の得られる情報(言語的にも縛られています)や社会的な背景,周囲の人たちの反応の仕方に拠っています.

自分が気を付けていることは,なるべく科学的な情報を集めること,それに基づいて何をよしとし何をだめとするかの自分の基準を作ること,他人に対しては余程のことが無い限り押し付けないこと,です.特に他人が自分より緩い基準で行動していると,反発したくなったりもするのですが,何が正しいのかがわからない以上,目くじらを立てるのはよくないなと.


それでも,悪気なく正しくない情報が流布しているのには辟易します.肺炎患者が来たのにCTを撮っただけでPCR検査をしていない!と騒ぐ看護婦さんを見かけましたが,間質性肺炎像でなければPCR検査は不要な訳で,医者の判断は正しいと言えます.その程度は一般人が調べてもわかることです.本人は不安で発信せざるを得なかったのでしょうが,医療関係者の発信でもこのレベルなんだなと.
そういうところを切り分けて,論理的な情報を発信するのがマスコミの役目かと思うのですが,マスコミの情報も不正確だったりするようです.識者に取材する特権があるのですから,きちんと考えてなるべく正確な情報を発信して欲しいものです.

情報や意思疎通を透明にすることの重要性も感じます.正しいことは誰にもわからないのは仕方がありません.けれど,何をして,何をしていないのか,それは数字でどの程度なのか,どういう根拠でどのような方針を決めたのかを,共有できているのとできていないのとでは大違いだなと.何もかもを垂れ流すのも違うとは思いますが,お互いの信頼を築くのに,嘘がないということは大切だと思うのです.



16日に政府発表があって,段階的規制緩和について発表されました.それを受けてうちの事務所では,来週から通常営業にできるだけ戻すそうです.個人的な感覚としては,ちょっと早いかなとも思いますが,いずれ戻さなくてはなりません.

建築家の方と話すと,テレワークで効率が上がったという人も多いようです.無駄な会議がなくなったから,と.我々エンジニアは逆の感触を持っています.これは,建築家はもともと会議が多いのに対して,エンジニアはそうでもないということと,使うプログラムの種類が多くてテレワークだと手間が多いということが理由として考えられます.

テレワークは何と言ってもコミュニケーション手間が増えるので,通常営業に戻るのはいいことなのですが,このまま何も変わらずにもとに戻ってしまっていいのかと,少し焦りのようなものがあります.今までのやり方をアップデートする折角のチャンスをふいにしてしまうのではないかというような.

このコロナの非日常が始まった当初,情報を集めるのに必死で,情報疲れしたりしながら,我ながら非日常に少しぴりぴりしていたと思います.東日本大震災後の日本の方もそうだったんだろうなと思いながら.その時,不思議と変拍子の曲など聴く気にはなれなくて,ミスチルの懐メロをずっと聴いていました.最近は椎名林檎程度の攻撃性は聴けるようになってきました.感覚が慣れて,日常になっていくということ.

日常の慣性力,惰性はすさまじいものがあります.自分から何もしないでいると,前と同じ日常のようなものが戻ってきてしまいそうです.自分の生活だけでも,少しでも刷新できればいいのですが.


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