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大学時代の友人Kくんが遊びに来てくれた.

20年以上経って,わざわざ夏休みにマルタ旅行の序でに会いに来てくれるフットワークの軽さは相変わらずだったけれど,お互い色々あって,変わった所もきっと沢山あるように思う.彼は前よりも自由になっているように見えた.基本的な信頼感があって,新しい部分を発見できるのは,いつも心楽しい.


彼の言っていたことで印象的だったこと2つ.

「やればいいじゃん.」
海に行きたいと思うなら,週末に海に行けばいい.
そうだよね.その通りだ.それを阻むものがあるとするならそれは何なのか,ちゃんと見つめた方がいい.

何かが変わるタイミングというのはあって,それが来た時に掴まえられるかどうかが大事だ.運命の女神には前髪しかない.必ずしも変化は自分の力や決断だけで起せるものではないけれど,準備ができている,ということが必要だということ.


知らない誰かが言っていることには懐疑的になってしまっても,友達が言うことは受入れやすい.瞑想は続けることが大事.年末までやってみようかな.



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週末にロンドンに行ってきました.

憶えている限り,ロンドンは4度目で,もう数えられない程のパリや,一ヶ月とは言え住んでいたベルリンと比べると,大都市好きにしては少なめです.しかも,一人で行ったのは多分初めて.友達と旅行するのは楽しいものですが,一人で旅行すると,全てを自分で決定しなくてはならないので,町とより友達になれる気がします.今回の旅行で,ロンドンがずっと好きになりました.

今までの印象では,パリの女性的な華やかさに比べて,ロンドンは煉瓦造が多く男性的.少し暗くて息苦しい.男性的な印象は今でも変わりせんが,ロンドンにはパリとは少し違うお洒落があると気づきました.背広的なお洒落やモード的なお洒落.パリのお洒落は華やかで,カジュアルに着方とセンスでお洒落する,という感じですが,ロンドンのお洒落はぴしっとお洒落する感じです.そういう人がいる所にちゃんといる,という感じ.場所によっては東京の女性よりもお洒落かも.正直ロンドンの女性はかわいい人が殆どいないのですが,男性はそこそこかっこいい人もいる.
そして,ロンドンのお店の対応は,かなりいい.観光客相手でも.多分,裏側できれいに英語を話さない人を全員馬鹿にしているかもしれないのですが,きちんとしたお店の人はそれを見せずに,総じてジェントル.こちらもきちんとしようという気持ちになります.
パリに行くと,黒人多いな,と思うのですが,ロンドンは圧倒的に中国人が多い印象です.多分住んでいるアジア人もとても多い.だから,アジア人というだけでは観光客扱いされません.日本語も本当に頻繁に聞えました.
ロンドンに行って必ず行くのはテート・モダン.常に展示内容が面白く,アーティスト側の気合も違います.これを抑えておけば大丈夫というような,世界最高峰の水準が保証されている感じ.
テート・モダンに限らず,世界のアートシーン先端の一端を担っているという気合を街に感じます.尖ったお店が成立するのも都会ならでは.スイスにはこういうお店はないんですよね....
ビール党ではありませんが,ビールが美味しい.ワインを頼む気にはなりません.
食べものは,言われる程まずくはありませんが,イタリアなんかに比べるとどうしても見劣りがします.基本的に,まずくはないね,程度.但し,スコーン(クロテッドクリームとイチゴジャムのコンビで)と紅茶は美味しい.珈琲はスターバックスが流行っているのに象徴されるように,基本的にひどいです.
地下鉄の運行は,想像されるよりはずっとスムーズ.本数も多いし,止まっている部分などはきちんとお知らせがでています.地下は複雑ですが,案内がはっきりあって迷うことはありません.多分,そのお知らせや案内を私が読める,というのも大きいのだとは思いますが.チューブは小さくてかわいいし,パリのメトロ程混んでいません.Undergroundのロゴもかわいいですよね.
AirBnbでロンドン在住の方のお部屋に泊まったのですが,スイスに比べると,生活の質は低いです.東京以上のせまさなので,街中に住むならモノを減らして住まないとやっていけないでしょう.仕上も安普請.
コンビニ的なものは,24時間ではなくとも23時位まで開いていたりします.日曜日も18時位までなら開いているお店も多いし,駅の付近では21時までやっていたりもします.便利.

都会に行くといつも,細胞に水が行き渡るような感じがします.都会っていいなあ.安心するなあ.
スイスの人は,山に行くとリラックスするようですが,私は都会に行くと生き返る気がします.
海は海で,大好きで,いつまでもいられますけど.


ロンドンも結構好きになりました.
都会は,東京もそうですが,自分の意思がはっきりしていないと,居場所がないですよね.
また下調べしてロンドンに行こう.

誰かに、好運を祈る時、"Daumen drücken" を使います。
der Daumen :親指
drücken :押す
ずっと、親指を上げるサムアップみたいな動作なのだと思っていたのですが、それは間違い。
親指を中に入れたグーの形だそうです。

Daumen drücken wikipedia



因みに、似た用法で"toi toi toi" というのもあるのだとか。こちらは悪魔の Teufelから来ていて、いいことばかりを話すと悪いことが寄ってくる、それを避ける為に唾を3回吐く、のが起源。唾を吐く代わりに、トイトイトイと唱えるのだそうです。

職業柄、Toi Toi と言えば簡易トイレなので、なんだか不思議です。


個人的には,慰安婦像も天皇の写真を燃やす映像も,アリだと思うし,そもそも抗議する根拠にも同意しないし,脅迫するなんてもってのほかだと思う.ただ,運営する方々のことを考えると,テロに屈する形で中止する判断も理解はできる.残念だけれど.

しかしここでは,もう少し冷静に考えてみよう.

そもそも問題になっているのは,慰安婦像と昭和天皇の肖像写真を燃やす作品であるようだ.「日本人の心を傷つける」らしい.

慰安婦像に関しては,そもそも現在日韓の関係が悪化している真っ最中であり,韓国が慰安婦という日本の過去の過ちにかこつけて賠償を迫るのに加担する,ということらしい.国家間での賠償は少なくとも日本側の見解としては済んでおり,それ以上にどのようにやりとりするかは高度な外交問題だろう.しかし,慰安婦像が表現している慰安婦という人々を作り出した過去自体は変わらない.今生きている大半の日本人はその当時生きていなかった人だろうし,自身の過ちではない訳だ.過去の日本人が犯した過ちを認めることが,そんなに心を傷つけるのだろうか.過去の過ちを直視できない国であるという恥の方が余程心を傷つけはしないのだろうか.人間というものは弱く,戦争のような非常事態には残酷なことも当たり前のように為してしまうものだ.その戒めを再確認することが,国を貶めているだろうか.

昭和天皇の肖像写真を燃やし踏みつける作品については,自分はもっと驚いた.天皇を日本そのもの,ひいては自分の一部と捉える人がそんなにいるんだろうか,今の日本には.誰の肖像写真であれ,写真が燃やされたり踏まれたりするのを見るのは気持ちのいいものではない.けれど,昭和天皇の担った政治的役割を考える時,それは個人の写真以上の意味を持つのは明らかだろう.タブーとしての天皇に切り込んだ作品の筈だが,天皇のタブー化は40年前よりずっと進んでいるように感じる.(そもそも私は陛下とか御真影とかお言葉とかいう言葉を遣うことにすら違和感がある.)

しかし,である.実は現実世界では,それ程ファナティックな人達の割合は多くはないのではないだろうか.今回展示を中止に追いやったのは,炎上をさせること自体を楽しんでいる人,抗議自体がしたい人,そもそも展覧会に行ってすらいない人たちなんではないだろうか.

そしてそれは,翻って逆の意味で自分もそうなのである.

少数の声の大きな人たちのファナティックな行動で,世界の動きが決まっていってしまう.そのこと自体に苛立って,自分もつい短慮で抗議の声を上げたくなってしまう.一人一人の声がすぐに世界に届くようになってしまった結果,短慮で感情的な意見が社会を動かすようになってしまう.まさにポピュリズムの悪い面である.

社会がファナティックに流されることに心を痛めようとも,自分だけでも静かにすべき,なのか.それとも微力ながらも自分の望む方向へ近づくように声を上げるべきなのか.
静かにする,ことは,すぐに,考えないことにする,になってしまうのではないか.
食べ物で人の身体ができているように,見聞きし読んだことで自分の考えができていくとすれば,目にするものを厳選すべきなのだろうか.それは,自分と同じ方向性のものばかり集めることになってしまいはしないのか.


SNSで,書いてから早くても3日後にしか公開されない,しかもその間は編集できる,というサービスにしたら,少しはましな言説が見られるかもしれない?

発言する前に一呼吸置く.言葉は常に丁寧に,を心掛ける.
そんな当たり前のことから始めるしか思いつかない.


菊地成孔なら,音楽が救うと言うんだろう.ビューティーを世界に.




N国の立花代表が,直接民主主義を押しているのを聞いた.自分はポピュリズムは好きになれないし,直接民主主義にも賛成しない.その理由を考えてみた.


近代というのは分担を進めて効率化することで進んできた.それについて良しあしがあるが,現実として,専門分化は細分化していて,専門外の分野のことを判断するのはどんどん難しくなっている.そういう時に必要なのは,専門家への信頼だと思う.しかし,透明性が下がることで人間の狡さが出てしまうことが顕著になってきて,最近は説明責任が求められることも多い.
実際に自分の専門分野で,この説明責任は,その重要性も理解した上で,無駄も多く生む.透明性の為に費やされるエネルギー・コストは,商品自体のモノの質を上げるのには寄与しないのが気になる.信頼さえあれば,同じ労力でもっといいものを残せるのに.しかし,その説明を受けることによる満足も商品の一部だから仕方がないんだろう.
自分の専門外では,例えば野菜等で,作った農家の人の顔を出す商品がある.私はそういう商品は敢えて避けたいと思っている.そこにかけるコストを例えば商品の値段を下げることに使ってくれる方を私は支持する.しかし,原材料に虚偽の表示をしたりされるのは困るから,それも信頼があってこそ,であって,なんでも安ければいい,ということにはならないんだろう.
さて,政治の話にすると,政治というのも専門知識と専門技能が必要な職業である.そして日々大量の政治的判断が必要とされる.もし自分が直接民主主義をするなら,せめてそこそこは正しいと思える判断をしたいし,その為には莫大なエネルギーが要求されるけれど,自分の人生をそこに費やしたいとは思えないな,というのが正直なところ.誰かにぶっちゃけお任せしたい.勿論主権者は自分達自身なんだけれど,誰かに依頼したい.

立花氏の言うこともわかる.自公の一党独裁を破るやり方として,それが一番手っ取り早く現実的なのでは,ということなんだろう.でも,いやだなー.

自分の理想としては,お互いに専門分野で社会に貢献すべくできることをする,という社会が一番いい.人は弱いから,ある程度のチェック機能は必要だし,メディアの報道は大事だけど,そのあたりのよいバランスで.


ところで,スイスは直接民主制である.投票は自分の故郷のカントンで行わなければならないし,数か月に一度の割合で国民投票がある.その週末ごとに電車は故郷に帰る人で溢れる.投票率は50%程度.そういうのって,国が小さいからできることなんじゃないかと思う.国が大きくなって匿名性が上がっていくと,ポピュリズムの悪い面が前面に出てくるのではないかと思う.

これって自分の中の変化を嫌う性質なだけ,なのかなあ.


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