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友達の調子が悪い.ここ1年程,目に見えて悪くなってきている.

言葉が支離滅裂になってきている.言葉が大事だと言っていたのに.
知らない人からウェイブを受け取ったりしている.
多分,事実と妄想の区別が時々ついていないように見える.
これまでの彼女だったらしない様な言動をする.

西洋医学的に言えば,多分,病である.多分,双極性障害I型.
現在は躁状態に入っているようだ.
薬を飲めば,「治る」可能性もそれなりにある筈なのだけれど,
薬を飲むのを自分の判断で辞めてしまう.

私は彼女に何を望むのがいいのだろうか.
「治って」以前のような彼女になるように手助けするのがいいのか,
変わっていく彼女をそのまま受け止めるのがいいのか.

今の彼女は,今が幸せだと言うだろう.
それが本心かどうか,定常的なものか,わからないし,
もう少し踏み外すと,社会的な立場を自ら難しくしてしまうようにも見える.

彼女が彼女の望むように生きていけたらいい,と思うけれど,
自分が何を望むかなんてあやふやだし,
彼女らしい生き方,というのだって,実体のないものに思える.


私は彼女の友達でいたいと思う.
それは,誰でも,ではなくて,他でもない彼女だから.
彼女の魅力,明るさ,頭のよさ,心遣い,やさしさ,脆さ,センスの良さ,
そういうものを私は覚えているし,
彼女が好きだし,感謝もしているし,なにより彼女と話すのは楽しかった.

そういう私が知っていた彼女が,失われつつあるようで,
私は今は,かなしい.

それでも,彼女が今までや今の彼女のような彼女ではなくなっても
単なる同情ではなく,記憶の所為ではなく,友情を感じ続けられるだろうか.
そもそも,彼女が彼女であるというのは,私が私であるというのは,
一体どういうことなんだろう.

そんな風に思い入れずに,彼女が手を伸ばして来たらただそこにいる,
そんな風に,少し乾いて距離を持っておいた方が,よかったりするんだろうか.

一つ,以前の経験から学んだことは,相手が辛い立場にあるとしても,
憐憫で接するのではなく,常に相手への尊重と誠実さを保つことを心掛けたいということ.


今は,彼女がどうなっていくにしても,彼女の側についていたいと思う.
彼女がどういう人だから,ではなく,
縁があって友達になってしまったのだもの,しゃーない最後まで付合うか,
というような,腹のくくり方.




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前回書いたアラーキーの件からつらつらと考え続けています.

少し整理すると,問題は,両者に同意が無かった,と現時点で少なくとも一方から捉えられている,ということです.こういう事態を避ける為に,契約書,というものがある訳ですが,今回は慣例的に無かった.
支配欲,被支配欲そのものが否定されている訳ではなくて,両者の合意の上であれば,それはあり得なくは無いということ.例えばビジネスとしてのSMプレイのように.ただ,合意する時点では両者は対等であるので,その時点では支配されたいという欲望に少し反してしまう点には目を瞑らねばなりませんが.

ハラスメントが起きた時点で不快を感じた場合,それを表明できないというのは確かに問題です.いやだったけど,言い出せなかった.言い出したけど取り合ってもらえず,自分では何もできなかった.周囲の圧迫によって黙らされてしまう状況というのは,確実に良くないですよね.

でも,この件での私の興味の中心の一つは,その時点で自分では,少なくとも部分的にはポジティヴなものを受取っていると思い,納得していると思っていても,後になってから,実は自分は傷ついていたのだと気づくことがある,ということ.或いは,関係性によって傷ついている最中には,しばしば自分ではそのことに気が付けないということ.寧ろ陶酔していたり,自分でなんとかすべきた,なんとかできると思っていたり,その事に誇りすら感じていたりするということ.そういう事実.そして問題が表面化しないまま関係が終わった時,そういうことは寧ろ,美談になったり,真実の愛や選ばれた運命的なものに見えたり,するということ.
そしてさらに,人はそういう美しさによって心を潤されてしまうことが多々あるということ.そういう裏表の危うさ.


花より男子の道明寺司は女性に人気です.古いですが壁ドンされたい女性も多いことでしょう.でもどちらにも,ハラスメント的要素はあります.現時点での事実として,女性には「守られたい」「主体性を投げ出したい」「モノとして扱われたい」という欲望が比較的露にあるように見受けられます.(男性にも「振り回されたい」という欲望はあるかな.)アラーキーの写真に私が見るのはそういう欲望だし,その点に触れずに,男根的欲望の面ばかりにスポットライトを当てて非難するのは片手落ちに思えます.
その時そこにあった(かのように少なくとも写真からは受取れる)欲望が,時間が経った時に,苦い思い出に変わってしまうということが起こりうるということ.(KaoRiさんの場合の事実関係とは無関係に.念のため.)





アラーキーこと荒木経惟の長年のミューズだったKaoRiさんが,
受けてきた抑圧について告発した.

KaoRiさんの告発

一方的な言説で,現在のところ荒木側は沈黙を保っている.
これは明らかに me too の流れである.


勿論,破壊されてしまったKaoRiさんの人生を思えば,
なんとひどい,ということは認めざるを得ない.

一方で,アラーキーの写真については,評価がどうであれ,
ある種の力を感じるのは確かだ.
これをどう考えたらいいんだろうか.

アラーキーの写真には,男性側の欲望はよくわからないけれど,
確実に女性側の欲望も写し出されていた.
一時的にモノとして扱われたい欲望.
女性をモノとして扱おうとするのは,何も一部の男性ばかりでなく,
多分女性自身もそうなのだ.
ほかの女性に対しても,自分自身に対しても.
それは,陶酔,小さな狂気と呼べるし,陶酔は快楽だ.

でもそれは,人権として正しいことではないし,
そういうフィルターをかけた瞬間に,もう陶酔の余地は残されていない.

弱者,は,その最中には,必ずしも弱者ではなかった筈だ.
それでも日の光に曝せば,弱者ということになる.
そして,「弱者」は声を上げ始める.


正しさ,が広がるに従って,
許されるある種の真実,感情が狭められていくということ.



「孤独は人を聡明にする.」


孤独,というのは,一人でいるというだけではなくて,
孤独の中で,きちんと生きている,ということが大事なのではないだろうか.

Skypeができて便利になったという裏表とも言えるけれど,
家にいても色々な「知合い」や「見も知らぬ人」と「つながれて」しまう所為で
孤独を生きることは難しくなっている気がする.


身体を動かすと,頭も働く.


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