忍者ブログ

<< 06  2025/07  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31    08 >>

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ヨーロッパで仕事ができるようになりたい.

そう思ってこちらに来たのでした.

スイスはヨーロッパの中でも特殊だということに,こちらに来てから気が付いたのですが,
そうは言っても,日本に比べればずっとヨーロッパです.
多分,ヨーロッパと一括りに見えるのは,東アジアから見るからであって,
フランスであれドイツであれイタリアであれ,
各々,違っているに違いない,とも思います.
ヨーロッパの解像度が上がったという感じ.

何れにせよ,実際に今,スイスで現場の仕事をやっているのだな,とふと思い至り,
描いた夢に近づいて行っているんだな,と嬉しくなりました.


夢は,描ければ,半分くらいは達成したようなもの.
大丈夫.人は見ている方向へ動いていくのです.


今,仕事に関すること以外での夢を描いてみる.

落ち着いて,きれいな言葉を話す人になりたい.
もう何十年もそう言っているような気もしますが,でも,やっぱりそうなりたい.
今年に入って,長年の夢だった弓道を始めましたが,
それはこの夢にプラスに働くように思います.

それから,真面目できちんとした生活を確保したい.
私の中にはどこか,破天荒でありたい,極端なことに憧れる,という側面がありますし,
そういう部分も愛しているのですが,
それを支え,実現可能にするのは体力と気力.
いつも破天荒なのではなく,きちんとした地味な積み重ねをしていきたい.

後は,やはり自分に対して誠実であり続けたい.


それからそれから...
40歳も視野に入る年齢になりました.
どんな40歳になりたいかな,私.

何れにせよ,姿勢を正し,視線を上げ,見たいものを見ながら生きていこうと思います.



PR

高橋源一郎の本に,
英霊が話せるとしたら,何を話すだろうか,というトピックがあって,
つらつらと想像したこと.

---

この世界には,時というものがない.
時というのは,生きているものだけのものだ.
時の中に生きている時には,その一瞬だけしか見えないものだが,
ここでは全ての時が同時に存在している.

更に言えば,「私」というものもない.
だから,「私たち」というのもしっくりこないのだが,便宜的に.

ここでは全てのものが,渾然一体となったスープのようになっている.

かつて生きていた.或いは今後生きる.これは同じことだ.
ここでは,水晶の玉の中の世界のように,全ての時の流れを掌の中に見ることができる.

時々気紛れに,私たちの一部が,個体として時の流れる生の舞台へと入り込む.
入り込んだ途端,時は断面になってしまって,ここでの記憶は全て失われる.
そして,個体としてなにやら必死に,楽しんだりもがき苦しんだりする.
時々,生きている人間が,舞台など見ているのを見ると,笑ってしまう.
それはまさに,ここで私たちがしていることと入れ子になっているから.

時,というルールは,変化する,というルールと同値だ.
変化するものは,やがて,失われる.
そして,全てが一つの,変化のない,ここへ戻ってくるのだ.

生きている時は,協力する個だったものも,対立する個だったものも,
ここに戻ってくれば全てがひとつ.
だから,時の中で,愛し合うも,殺し合うも一興.


ここには会話はない.
言葉は,何かを伝える為のものではなく,
ただ,このあるがままを描写するためのものだ.




先日,久しぶりに,オルセー美術館に行った.

そこには,ゴッホやらドガ,モネ,ルノワール,シスレー,ロダン等があった.

絵のことはよくわからないけれど,
面白かったのは,一緒に行った人の,有名な作品を見ることに意味を見出していた態度だった.
それを見た,ということが大事なのだそうだ.
あそこにはあれがあって,ということを,誰かに話せるということ.
或いは,その画家の物語を知っているということ.

それは,結局,その物語を知ることによって,理解した気分になる,というあり方で,
そうして絵を見るというのが自分とかなり違う態度だったので,新鮮に思えた.


私はオルセーに行くと,それが駅舎だった頃のことを想像する.
まだ旅が今のように広まっていない頃.パリが本当に花のパリだった頃.
遠くから長いこと列車に揺られて,この駅舎に辿りつく.
その壮大さ,華麗さに,あぁこれがパリだ,とみんな思う....

ある意味,別の物語を見出しているだけで,同じことなのかもしれない.



個人的には,絵の面では
モネの色彩が意外にきれいだったのが印象的だった.






勝負事というのは,勿論なんらかの報酬のために勝ちたくて,行う場合もあるだろうけど,
それだけじゃないな,と思う.

勝負それ自体が,ある種の快楽だったりすることがあるということ.

勝負事で,負けないこと,が最大の目的であるなら,
相手と話して,お互いに勝負を降りる,というのが一番効率的な筈だ(どちらも確実に負けない).
けれど,勝負の行為自体に刺激があれば,そうはならない.

スポーツやゲームは,お互いに勝負を降りたら成り立たない.

戦争は?

半年以上間が空いてしまいました.
その間に,東日本大震災があり,今日は東京は台風直撃で大変だそうです.
つくづく,日本の自然環境は建物に対してとても厳しいなあ,と思わされます.

東日本大震災直後は,衝撃的な津波映像が世界を震撼させ,
あの日本の技術をもってしてもこれでは耐えられなかった,かわいそうに,
と沢山の支援を世界から受けた訳ですが,
その後の福島原発事故の処理の人的な問題が,世界の共感を一気に離れさせました.
放射線被曝の問題は,今もはっきりとした真実は誰にもわからず,
それが故の肥大した不安,その裏返しとしての見えない振りが蔓延しているようです.
一方で,莫大な面積の被災地の復興は少しずつ進められ,
友人も何人かボランティアに行ったりもしているようです.
私も微力ながら募金活動を行ったり,自分で募金をしたりもしています.

東京都知事選があって,石原さんが再選し,首相が菅さんから野田さんに代わりました.


日本の国内でどのような変化が肌に感じられるものとしてあるのかは遠くからはわかりませんが,
私個人は,政治に対して無関心であるのはもう大人として通用しないな,と感じています.

かと言って,これまで完全な無関心を決め込んできた為に,最初の踏み出しはなかなか難しいものです.

自分で情報を確認することは大切,です.
しかし,情報氾濫時代,どこから,誰から,情報を得るのか,というのはとても難しい.
インターネットは能動的な情報ツールなので,自分の調べたものしか結果として出て来ません.
つまり,見たいものしか見えない.
ツイッターなどで自分の気に入った発言をする人をフォローしていけば,
必然的に自分の気に入った情報ばかりが氾濫しているように見え,
同じように考えている人がこんなに沢山いるのに,なんて世間は馬鹿なんだ,となってしまいがちです.
気を付けて,反対の人の意見も見ようとしてみますが,何せ体力のいること,
学生やニートの方のような時間のある方ならともかく,
自分のエネルギーの大半を仕事に注ぎ込んでしまうと,
その他のことにエネルギーをなかなか割こうという気になれないのも事実.

本当は,その情報の取捨選択,噛み砕き,両翼の意見の陳列,
そういうことこそを,マスメディアにはやっていただきたい,
そこにこそ,情報を見わける目を持った人間にしかできないクリエイティヴな仕事があるのだ,と思うのですが,
そう思ってしまうのは,古い甘え体質に過ぎないのでしょうか....

誰でも知ろうとすればある程度のことは知ることが可能である,ということ自体が,
不正や偽造への抑止力になることはあるとは思います.

今はまだ,信頼できる大人なメディアに私が巡り合っていないので,
辟易しながら少しずつ目に入る情報を集めていくしかないようです.







 calender
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
 track back
 search in this blog
Script:Ninja Blog  Design by: タイムカプセル
忍者ブログ [PR]