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昨日届いたメールに,スパンクハッピー再結成の話が出ていました.


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去年,薦められて行ったピットインのソロライブは,
爆音のノイズ系のミックスでした.
あまりの爆音で,眠ってしまう程だったのですが,
目が覚めた時伝わってきたのは,純粋で暴力的な,怒り,でした.
その場で咄嗟に取ったメモには,戦争・工場・映画・洞窟,とあります.
その怒りに,聴いている内に自分も感染してしまって.
昔は煙でもくもくだったピットインも,今は禁煙になっていて,
そんなきれいな空気の中なのに,マスクをしている何人ものオーディエンス.
無菌,無菌,無菌の世界.異物の排除.そういうものへの,怒り.
それはどこか,浄化的な要素もあったとも言えるけれど,
私は,怒りながら同時に,かなしかったのでした.


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菊地さんの昨日のメルマガ,からの引用.


 スパンクハッピーは過去、2度ともに私の命を奪いかけた。最終スパンクハッピーの目的は、私がこのバンドを、ジャンキーや破滅的なエピキュリアンとして命や精神をすり減らす享楽の坩堝ではなく、世界に真の健康と長寿をもたらすため、逆療法としての毒物を世界中に撒くことにある。

 このままでは地球は滅びてしまう。インターネットによって感染する、二次元的なデカダンやフェティッシュやエロティカを駆逐すべく、私は、今や呪物や儀式のクラスに昇格され、毒性を去勢されてしまった、三次元の、つまり過去の遺物としての、レアなデカダンやフェティッシュやエロティカを音楽によって復権させる事にする。つまりこういうことだ。真の悪魔払いをきっちり行うには、まず悪魔をきっちり取り憑かせないといけない。

 これが負け戦であり、人類が向かうべきはインターネットとの完全な共存であることは間違いない。私は50余年にわたって、あらゆる戦いを避けてきた(「戦争」をオブジェクトとして扱え得たのは、そのせいである)、厳密には、何度か戦闘的になったが、戦争それ自体が寒々しいものに終わった(ジャズのレコンキスタとか。あんな貧困な戦いに終わるとはさすがに私も驚いた。この件に関しては一刻も早くブルーノート東京裁判を開くべきだと思う)、結果、そこそこの勝利ーーー勝ちにこだわらない無欲なものだけが得られる類のーーーを遂げてきたと思う。この歳になって、私は自分の変化に驚いている。私はおそらく産まれて初めて、能動的に激烈な戦闘に身を投じる。そしてそれは、負け戦なのである。

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今日,これを読んで,やっぱりかなしいな,と思ったのでした.

勿論そのかなしみは,私の中にある悲しみの反射でしかないのかもしれません.
そして,かなしいことは必ずしも悪いことではないのかもしれません.




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Anne Teresa De Keersmaeker のROSAS公演を観てきました.
演目は,
"Die Weise von Liebe und Tod des Cornets Christoph Rilke"
旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌.

これから観ることがある人にまず言っておきたいのは,
必ず一度小説を読んでから観た方がいいということです.

以下ネタバレを含む感想を.



ROSASの公演を観るのは今回が三度目.
一度目はロンドンのテートモダンのTANKのオープニング時.
この時はSteve Reich のFASEでした.
ROSASの名前も知らず,たまたまやっていたのを観て,鮮烈な印象を持ち,
流石ロンドン,流石テート,と思ったのでした.
ケースマイケル自身は踊っていなかったと記憶しています.

二度目は去年.BaselのKaserneにて,友人に誘われてBach Partita.
当日券ぎりぎりで入って,最後列.それはそれで,舞台全体がよく見えます.
この舞台が大変よくて,この時,ROSASの名前を記憶しました.
ケースマイケル氏ともう一人の男性とバイオリンの舞台.
無音のダンス,バイオリン,そしてバイオリン付きのダンス.円環.

そして今回.
リルケの短編をモチーフにした舞台.
前回が最後列だったので,今回は2列目を取ってみました.
東京と違ってチケットを取るのが楽なのがスイスのいいところ.
2列目は演者と至近距離です.
最初は男性のみのダンス.次に小説が映写されて,フルートの演奏.
(フルートがこんなに現代音楽を吹けるなんて知りませんでした.武満徹の尺八のように.)
そして,フルートの演奏に合わせて,先ほどの男性とケースマイケルのダンス.
男性が退場して,ケースマイケルが短編を全編朗読しながら踊る.という構成.
映写はドイツ語と英語の二言語ですが,
朗読は全てドイツ語なので,ドイツ語圏でしか演じられないかもな,と.
ドイツ語が少しでもわかってよかった+小説を読んでおいてよかった.

今回は小説ベースですので,物語がはっきりとあります.
トルコへ戦争へ向かう道すがら,
フランス人と出会い仲良くなり,別れ,旗手になり,
その後着いた村で侯爵夫人と懇ろになり,
その夜火事に巻き込まれ,敵陣に入り込んで四方八方から刺されて死ぬ.
というのが大まかなストーリーです.

その一瞬一瞬を,自由に,しかし実は綿密な計算の元に,動く.

彼らの舞台を見ると,いつも生きるということ全体について考えてしまいます.
自らの身体をコントロールすること.
一人で表現できることと,二人いないと表現できないこと.
静止も含めた瞬間の動きが美しいだけでなく,
動きの軌跡が美しい絵になっているということ.
それぞれの公演の連なりも,また一つ大きな絵になっているのでしょうか.

前列で観て一つ驚いたことは,ケースマイケルが年を取っていたということ.
男性ダンサーが比較的若かったので,余計にそう見えたのかもしれません.
動きが鈍いということは全然ないのですが,首や肘の皺に,確実に年齢は表れていて.
って,57歳ですから,当たり前なんですが.
そして,その年の離れた二人が並ぶ違和感が,
公演を観ている内に消えて行ったのも印象的でした.
ただ二人の個人が,互いの引力の中で動いている様子.

そして,ケースマイケルの声.強く低い声.
ドイツ語は,やはり男性的な言語だと思わざるを得ませんが,
少しドイツ語が好きになれた気もします.

薔薇の詩を墓碑にしたリルケですから,
公演後に薔薇の花を手渡されていたのは粋でした.


何れにせよ,観に行ってよかった.

ROSASのDVDは以前に購入していたので,
勢いでWim Wenders のPinaを購入してしまいました.



河原温の作品は,何度か目にしている.
記憶が確かなら,バーゼル市立美術館にも入っていた筈だ.


手の痕の残る,ある日付と場所.
それは,その日,そこに,会ったことのないその作家が,生きていた,ということであり,
同時に,その日,どこか別の場所に,私は,生きていた,ということであり,
同時に,その日,どこか別の場所に,誰かも,生きていた,ということであり.

そのひとつひとつが含まれる,ストーリーの流れ.
何かを記すことで,記されていないものを表現するということ.

私という点から発散していく西洋的な極座標的な空間ではなく,
我々という全体から私の位置を規定していく日本的なユークリッド空間でもなく,
(しかしそれは,あちこちに無限へ繋がるポイントを含んでいる)
ここにもあそこにも原点があってそこから発散していく,移動する衛星的な座標空間.



ヘーゲルによれば,芸術の分類は以下のようである.

第1芸術 : 建築 
第2芸術 : 彫刻 
第3芸術 : 絵画 
第4芸術 : 音楽 
第5芸術 : 詩

順番が若い程,物性が表現性に比して大きい.
詩,というのは,言語芸術という意味で,小説や散文も含まれるだろう.

以降続くのは,
演劇,写真,舞踏,映画など.



鳥は飛ばなくてはならない,その一点に於いて,不自由だ.

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