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外国語で生活していると
相当流暢でない限り、ある程度わからない部分を想像で補いながら会話することになります。
それを日々繰り返していると、
相手の話を想像する力が鍛えられてしまいます。

それにはよい面もありますが、弊害もあって。

外国語を完全にわからなくても物事を片付けられるようになるので、
外国語を勉強しなければならない理由が弱くなる、
ということもありますが、
相手の話を、常に先読みしながら聞く習慣がつくので、
最後まで相手の話を聞くのが苦痛になってしまう、ということの方が大きい気がします。
それは、母語である日本語での会話だと、
想像がさらにしやすくなるため、特に顕著にあらわれます。
相手の言いたいことはきちんと理解できているとしても、
言い終わるのを待たずに反応してしまうと、
場合や相手によっては、話をきちんと聞いてもらっていない、という気分になってしまうこともあり、
内容が伝わっているかどうかによらず、不愉快に感じてしまうかもしれません。


自分を主張しない忍耐力を育てることも、
外国語で生活している場合には大切だなと思ったのでした。



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今年に入ってから,長年のやりたいことの一つであった,弓道を始めてみました.
外国でも弓道クラブはあって,細々とではありますが,弓道を鍛錬している人たちがいます.

私の通っている所は,10人程度,練習に来る人は5,6人で,
みなさんは週に3回の練習をしています.
私以外は全てスイス人かドイツ人です.
私はまだ初心者なので,週に一度3時間の巻藁練習のみの参加です.
(それでも仕事が切羽詰ってくると,参加するだけで結構大変だったりしますが.)

先日やっと自分の懸(かけ)や道着が届き,いよいよ楽しくなってきました.
もうすぐ自分の弓も届くことになっています.楽しみ.


始めてみてからわかったことですが,
弓道というのは精神鍛錬にかなり比重が置かれていて,
私の好みによく合っているということ.
そういう,内的充実に興味を持っている外国人もちゃんといるということ.

身体の動かし方を考える実践から,心の落着きを得るというあり方.
書道にせよ,剣道にせよ,
道,と呼ばれるようなものは,多かれ少なかれそういう側面があるのかもしれませんね.


現実の今の自分は,
すぐにわたわたしてしまい,息合いに留意せよ,と言われればそればかりに気を取られ,
なかなかまどやかな動きには程遠いのですが,
時間をかけて,ゆっくりと,習得していければいいな,と思っています.




仕事が思ったよりさくさく進んだので久し振りに泳ぎました.
ちゃちゃっと1100mだけ.全力を出さないことの練習.
気持ちがいいです,やっぱり.


この前の日曜日から冬時間になり,バーゼルはめっきり寒くなりました.
気温の変化する時期は特に寒い,暑いを強く感じるものですね.




自分の武器はなにか.

あったらいいなと思えるスキルは,幾つもあって,
でもどれも壁が高く感じられて,つい尻込みしてしまっている.

何もかも一人ではできないし,する必要もないけれど,
かと言って自分の武器を磨いたり増やしたりすることを怠っていいということにはならない筈.


・・・あぁ,言い方が厳しくなりすぎている.
こうやって厳しい言い方で考えると,自分が長く続かないものだ.


やり直し.


先回りして考えて,手や足を動かすのをやめてしまう,ことをやめてみようと思います.
馬鹿げて見えても,実際にやってみると,思っていたこととは違うものが見えたりするものです.
どうせ効率なんて悪いのですから,泥臭くたって構わないんじゃないですか.


で,自分の武器のこと.
持っていたらプラスだなと思えるスキルが,時々近くを通り過ぎるけれど,
つい腰が重くて尻込みしてしまったりします.
少しずつでいいから,武器を増やしていけたらいいなと.
別に,仕事に関するものに限らず,ですが.

持っていたらいいなと思えるスキルをまずは列挙.
何もかも自分でやる必要はないので,まずは列挙してみて,それから選択.

・ドイツ語
・フランス語
・英語
・Rhinoceros
・grasshopper
・fortran
・スイスでの設計・施工の経験
・ヨーロッパでの設計・施工の経験
・捩れに関する知見
・ユーロコードの知見
・水泳
・幾何学に対する知見
・折関連の考察
・お料理
・お散歩

今やっている仕事では,技術者としての武器を増やすことができました.
正直気持ち的にきついですが,よかった.これはきっと次につながるでしょう.


昨日は簡単に厚紙で多面体を作っていました.単純に楽しい.

時々,モデリング技術のことが焦点になります.
正直,建築畑の若い人たちはモデリングソフトを難なく使いこなしていますし,
その辺りは彼らに任せてしまえばいいのではないか,
或いは,エンジニアがそういう技術を持つことの優先度は低いのではないか,
とつい二の足を踏んでしまいますが,
これこれ,これが私の悪い癖.
たまたま今の会社にはそういう技術を持つ人がいないので,
あればあったで結構喜ばれる筈.
まずはやってみようかな.

最近はまたドイツ語アレルギーがひどくなってきたので,
別のことで気を紛らしたいところですし.
(と言ってもソフトがドイツ語なのがハードルを上げているわけですが.)


結局,どういう仕事人,或いは人間,になりたいか,ということに繋がってくる話.
建築家と一緒になってわくわくして,
構造の観点から新しいアイディアを返せるような,そんな感じがいいなぁ.
色々な道理や手続きを弁えていて,頼りになる人,というのも大事だなぁ.

あ,結構今お世話になっている鉄骨やさんのイメージかもしれません.
勿論職種と技能は違ってはいる訳ですが.


「偶然を必然に変えるのは自分」ですからね.






海外で生活するということは,常に理解されないということを意識して生きていくということだ.
人間たるもの,完全なる理解なんて不可能なので,所詮程度問題に過ぎない,というのは真実だけれど,
その程度問題が,生物たる人間には大切になってくる.

結局他人との距離の問題なのだと思う.
他人がどれくらい他人なのか.
日本文化に比べて欧州の文化は(とひとくくりにするのも違っているのだけれど),他人がずっと他人だ.
それは長い歴史の中で,全く違う(と本人たちは思っている)文化と隣り合わせに生きてきた知恵なのだろう.
相手の懐深くまで入りこまないし,入りこませない.

日本文化では,他人を自分の一部とみなす傾向があると思う.
相手を思いやり,想像し,相手の痛みを自分の痛みと感じる.
己の欲せざる所,他人に施すことなかれ,にあまり疑問を抱かないのは,
自分の嫌なことは他人の嫌なことと一致しているだろう,という前提に立っている.

そういう文化的背景を背負ってきてしまうと,
自分と他人の間の距離が大きいのは,孤立感に繋がる.
誰かが特別にいじめているということではなくても.


でも,今は夏目漱石の時代とは違って,
ネットで日本にいる友人とコミュニケーションすることができる.
それは会うことほど近しく感じることはできないけれど,0よりは多い.
しかも友人の中にも海外生活を経験した人も多くなってきて,
彼らにもこちらの様子が想像しやすい=共感してもらいやすい状況になってきている.
ありがたいことだ.

日本的文化にはいい面も悪い面もあるけれど,
それはそれとして廃れないであってほしい.
そして,それを保持したまま,もっと拡がって行ける可能性があるのかもしれないと思える.




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