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自分の武器はなにか.

あったらいいなと思えるスキルは,幾つもあって,
でもどれも壁が高く感じられて,つい尻込みしてしまっている.

何もかも一人ではできないし,する必要もないけれど,
かと言って自分の武器を磨いたり増やしたりすることを怠っていいということにはならない筈.


・・・あぁ,言い方が厳しくなりすぎている.
こうやって厳しい言い方で考えると,自分が長く続かないものだ.


やり直し.


先回りして考えて,手や足を動かすのをやめてしまう,ことをやめてみようと思います.
馬鹿げて見えても,実際にやってみると,思っていたこととは違うものが見えたりするものです.
どうせ効率なんて悪いのですから,泥臭くたって構わないんじゃないですか.


で,自分の武器のこと.
持っていたらプラスだなと思えるスキルが,時々近くを通り過ぎるけれど,
つい腰が重くて尻込みしてしまったりします.
少しずつでいいから,武器を増やしていけたらいいなと.
別に,仕事に関するものに限らず,ですが.

持っていたらいいなと思えるスキルをまずは列挙.
何もかも自分でやる必要はないので,まずは列挙してみて,それから選択.

・ドイツ語
・フランス語
・英語
・Rhinoceros
・grasshopper
・fortran
・スイスでの設計・施工の経験
・ヨーロッパでの設計・施工の経験
・捩れに関する知見
・ユーロコードの知見
・水泳
・幾何学に対する知見
・折関連の考察
・お料理
・お散歩

今やっている仕事では,技術者としての武器を増やすことができました.
正直気持ち的にきついですが,よかった.これはきっと次につながるでしょう.


昨日は簡単に厚紙で多面体を作っていました.単純に楽しい.

時々,モデリング技術のことが焦点になります.
正直,建築畑の若い人たちはモデリングソフトを難なく使いこなしていますし,
その辺りは彼らに任せてしまえばいいのではないか,
或いは,エンジニアがそういう技術を持つことの優先度は低いのではないか,
とつい二の足を踏んでしまいますが,
これこれ,これが私の悪い癖.
たまたま今の会社にはそういう技術を持つ人がいないので,
あればあったで結構喜ばれる筈.
まずはやってみようかな.

最近はまたドイツ語アレルギーがひどくなってきたので,
別のことで気を紛らしたいところですし.
(と言ってもソフトがドイツ語なのがハードルを上げているわけですが.)


結局,どういう仕事人,或いは人間,になりたいか,ということに繋がってくる話.
建築家と一緒になってわくわくして,
構造の観点から新しいアイディアを返せるような,そんな感じがいいなぁ.
色々な道理や手続きを弁えていて,頼りになる人,というのも大事だなぁ.

あ,結構今お世話になっている鉄骨やさんのイメージかもしれません.
勿論職種と技能は違ってはいる訳ですが.


「偶然を必然に変えるのは自分」ですからね.






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同じ文書の,イギリス発行版とドイツ発行版を見比べてみると
レイアウトが全然違うことに驚きます.

表紙を見た時に,イギリス版は,ぱっと見て何がタイトルかわかりますし,
目次を見ても,構造がぱっと見てわかるようになっています.

それに対してドイツ版は,
どれも同じような大きさの同じような太さの文字で,
文字列の先頭も揃っていて,
どこに大事なことが書いてあるのか,ぱっとみて大変わかりづらいです.

1. Allegemein
2. Grundlagen
2.1 Literatur und Programm
2.1.1 Norm
2.1.2 Literatur
2.1.3 Programm
2.2 Material
2.2.1 Beton
2.2.2 Betonstahl
2.2.3 Spannstahl
2.2.4 Baustahl
2.2.4.1 Ueberbau
2.2.4.2 Unterbau
3. Plaene
4. Belastung
4.1 Eigengewicht
4.2 Auflast

こんな感じ.正直とっても見づらい.
でも,ドイツ語母語の人に言わせると,揃っていてきれい,だそう.

彼らの作る文書は,章立てがあまり論理的でないものが多いですし,
彼らの思考はあまり組織だっていないのかな,と想像してしまいます.



担当していたスタジアムのコンペが2位だった.
一般の人に対する受けは一番よかったらしいのだけど,そんなことを言っても始まらない.
ちょっといい感じに進んでいたので,残念.


スタジアムと言えば,東京では国立競技場のコンペが行われていて,
一次通過案が発表になった.
http://www.jpnsport.com/
大きくて派手だなあ.

最近やっている仕事が,能力不足で辛かったので,凹み気味だったのだけれど,
人間がこういうものを作り得るのだ,
しかもそれを,知っている人たちが作り上げているのだ,
と思うと,そんな小さなことは吹き飛ぶ.

突然大きなものに行ったりはしない.
全ての,時に小さくも見える積み重ねが,そこへ到達させるのだ.


新しいプロジェクトも来て,
気持ちも新たに頑張ろう,という気持ち.


高橋源一郎の本に,
英霊が話せるとしたら,何を話すだろうか,というトピックがあって,
つらつらと想像したこと.

---

この世界には,時というものがない.
時というのは,生きているものだけのものだ.
時の中に生きている時には,その一瞬だけしか見えないものだが,
ここでは全ての時が同時に存在している.

更に言えば,「私」というものもない.
だから,「私たち」というのもしっくりこないのだが,便宜的に.

ここでは全てのものが,渾然一体となったスープのようになっている.

かつて生きていた.或いは今後生きる.これは同じことだ.
ここでは,水晶の玉の中の世界のように,全ての時の流れを掌の中に見ることができる.

時々気紛れに,私たちの一部が,個体として時の流れる生の舞台へと入り込む.
入り込んだ途端,時は断面になってしまって,ここでの記憶は全て失われる.
そして,個体としてなにやら必死に,楽しんだりもがき苦しんだりする.
時々,生きている人間が,舞台など見ているのを見ると,笑ってしまう.
それはまさに,ここで私たちがしていることと入れ子になっているから.

時,というルールは,変化する,というルールと同値だ.
変化するものは,やがて,失われる.
そして,全てが一つの,変化のない,ここへ戻ってくるのだ.

生きている時は,協力する個だったものも,対立する個だったものも,
ここに戻ってくれば全てがひとつ.
だから,時の中で,愛し合うも,殺し合うも一興.


ここには会話はない.
言葉は,何かを伝える為のものではなく,
ただ,このあるがままを描写するためのものだ.




海外で生活するということは,常に理解されないということを意識して生きていくということだ.
人間たるもの,完全なる理解なんて不可能なので,所詮程度問題に過ぎない,というのは真実だけれど,
その程度問題が,生物たる人間には大切になってくる.

結局他人との距離の問題なのだと思う.
他人がどれくらい他人なのか.
日本文化に比べて欧州の文化は(とひとくくりにするのも違っているのだけれど),他人がずっと他人だ.
それは長い歴史の中で,全く違う(と本人たちは思っている)文化と隣り合わせに生きてきた知恵なのだろう.
相手の懐深くまで入りこまないし,入りこませない.

日本文化では,他人を自分の一部とみなす傾向があると思う.
相手を思いやり,想像し,相手の痛みを自分の痛みと感じる.
己の欲せざる所,他人に施すことなかれ,にあまり疑問を抱かないのは,
自分の嫌なことは他人の嫌なことと一致しているだろう,という前提に立っている.

そういう文化的背景を背負ってきてしまうと,
自分と他人の間の距離が大きいのは,孤立感に繋がる.
誰かが特別にいじめているということではなくても.


でも,今は夏目漱石の時代とは違って,
ネットで日本にいる友人とコミュニケーションすることができる.
それは会うことほど近しく感じることはできないけれど,0よりは多い.
しかも友人の中にも海外生活を経験した人も多くなってきて,
彼らにもこちらの様子が想像しやすい=共感してもらいやすい状況になってきている.
ありがたいことだ.

日本的文化にはいい面も悪い面もあるけれど,
それはそれとして廃れないであってほしい.
そして,それを保持したまま,もっと拡がって行ける可能性があるのかもしれないと思える.




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