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先日,Bielに坂茂事務所設計のSwatch-Omega本社ビルがオープンしました.その内,Omegaミュージアムでは,2階に渡って,Omega及びSwatchに関する展示をしています.

個人的に腕時計はしないし,家にもほぼ時計がないのですが,時を計るということは興味深いです.

時を計る時に,日時計というのは思いつきやすいかと思うのですが,晴れた日中しか使えません.時を計るには,一定速度で動く何か,が必要です.例えば,水時計.水が落ちる速さは水面の高さで異なりますが,それを考慮してメモリを作れば時を計れます.例えば,砂時計.砂が落ちる速度で時を計ります.例えばろうそく時計.ろうそくの燃える速度で時を計ります.蚊取り線香でも時間を計れますね.

機械式時計では,振り子時計がよく見られますよね.振り子の触れる間隔が一定であることを利用して時間を計ります.持ち歩ける時計にするためには,ゼンマイとテンプの発明が必要でした.ゼンマイのバネの伸び縮みのスピードが一定ということを利用し,それがテンプを振幅運動させ,それが歯車に伝わって針を動かします.
現在よく見られるクォーツ時計は,水晶に電気を流した時の微振動が一定であることを利用しているそうです.

目に見えないけれど流れている「時」というものを,可視化する,というのは,とても面白いです.

本当はもっとゆったりとした時間を計っているものもある筈です.例えば木の年輪.例えばものの朽ちる速度.

逆にマイクロ秒まで計れるようになって,せかせかするような世界はいやですね.



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個人的には,慰安婦像も天皇の写真を燃やす映像も,アリだと思うし,そもそも抗議する根拠にも同意しないし,脅迫するなんてもってのほかだと思う.ただ,運営する方々のことを考えると,テロに屈する形で中止する判断も理解はできる.残念だけれど.

しかしここでは,もう少し冷静に考えてみよう.

そもそも問題になっているのは,慰安婦像と昭和天皇の肖像写真を燃やす作品であるようだ.「日本人の心を傷つける」らしい.

慰安婦像に関しては,そもそも現在日韓の関係が悪化している真っ最中であり,韓国が慰安婦という日本の過去の過ちにかこつけて賠償を迫るのに加担する,ということらしい.国家間での賠償は少なくとも日本側の見解としては済んでおり,それ以上にどのようにやりとりするかは高度な外交問題だろう.しかし,慰安婦像が表現している慰安婦という人々を作り出した過去自体は変わらない.今生きている大半の日本人はその当時生きていなかった人だろうし,自身の過ちではない訳だ.過去の日本人が犯した過ちを認めることが,そんなに心を傷つけるのだろうか.過去の過ちを直視できない国であるという恥の方が余程心を傷つけはしないのだろうか.人間というものは弱く,戦争のような非常事態には残酷なことも当たり前のように為してしまうものだ.その戒めを再確認することが,国を貶めているだろうか.

昭和天皇の肖像写真を燃やし踏みつける作品については,自分はもっと驚いた.天皇を日本そのもの,ひいては自分の一部と捉える人がそんなにいるんだろうか,今の日本には.誰の肖像写真であれ,写真が燃やされたり踏まれたりするのを見るのは気持ちのいいものではない.けれど,昭和天皇の担った政治的役割を考える時,それは個人の写真以上の意味を持つのは明らかだろう.タブーとしての天皇に切り込んだ作品の筈だが,天皇のタブー化は40年前よりずっと進んでいるように感じる.(そもそも私は陛下とか御真影とかお言葉とかいう言葉を遣うことにすら違和感がある.)

しかし,である.実は現実世界では,それ程ファナティックな人達の割合は多くはないのではないだろうか.今回展示を中止に追いやったのは,炎上をさせること自体を楽しんでいる人,抗議自体がしたい人,そもそも展覧会に行ってすらいない人たちなんではないだろうか.

そしてそれは,翻って逆の意味で自分もそうなのである.

少数の声の大きな人たちのファナティックな行動で,世界の動きが決まっていってしまう.そのこと自体に苛立って,自分もつい短慮で抗議の声を上げたくなってしまう.一人一人の声がすぐに世界に届くようになってしまった結果,短慮で感情的な意見が社会を動かすようになってしまう.まさにポピュリズムの悪い面である.

社会がファナティックに流されることに心を痛めようとも,自分だけでも静かにすべき,なのか.それとも微力ながらも自分の望む方向へ近づくように声を上げるべきなのか.
静かにする,ことは,すぐに,考えないことにする,になってしまうのではないか.
食べ物で人の身体ができているように,見聞きし読んだことで自分の考えができていくとすれば,目にするものを厳選すべきなのだろうか.それは,自分と同じ方向性のものばかり集めることになってしまいはしないのか.


SNSで,書いてから早くても3日後にしか公開されない,しかもその間は編集できる,というサービスにしたら,少しはましな言説が見られるかもしれない?

発言する前に一呼吸置く.言葉は常に丁寧に,を心掛ける.
そんな当たり前のことから始めるしか思いつかない.


菊地成孔なら,音楽が救うと言うんだろう.ビューティーを世界に.




N国の立花代表が,直接民主主義を押しているのを聞いた.自分はポピュリズムは好きになれないし,直接民主主義にも賛成しない.その理由を考えてみた.


近代というのは分担を進めて効率化することで進んできた.それについて良しあしがあるが,現実として,専門分化は細分化していて,専門外の分野のことを判断するのはどんどん難しくなっている.そういう時に必要なのは,専門家への信頼だと思う.しかし,透明性が下がることで人間の狡さが出てしまうことが顕著になってきて,最近は説明責任が求められることも多い.
実際に自分の専門分野で,この説明責任は,その重要性も理解した上で,無駄も多く生む.透明性の為に費やされるエネルギー・コストは,商品自体のモノの質を上げるのには寄与しないのが気になる.信頼さえあれば,同じ労力でもっといいものを残せるのに.しかし,その説明を受けることによる満足も商品の一部だから仕方がないんだろう.
自分の専門外では,例えば野菜等で,作った農家の人の顔を出す商品がある.私はそういう商品は敢えて避けたいと思っている.そこにかけるコストを例えば商品の値段を下げることに使ってくれる方を私は支持する.しかし,原材料に虚偽の表示をしたりされるのは困るから,それも信頼があってこそ,であって,なんでも安ければいい,ということにはならないんだろう.
さて,政治の話にすると,政治というのも専門知識と専門技能が必要な職業である.そして日々大量の政治的判断が必要とされる.もし自分が直接民主主義をするなら,せめてそこそこは正しいと思える判断をしたいし,その為には莫大なエネルギーが要求されるけれど,自分の人生をそこに費やしたいとは思えないな,というのが正直なところ.誰かにぶっちゃけお任せしたい.勿論主権者は自分達自身なんだけれど,誰かに依頼したい.

立花氏の言うこともわかる.自公の一党独裁を破るやり方として,それが一番手っ取り早く現実的なのでは,ということなんだろう.でも,いやだなー.

自分の理想としては,お互いに専門分野で社会に貢献すべくできることをする,という社会が一番いい.人は弱いから,ある程度のチェック機能は必要だし,メディアの報道は大事だけど,そのあたりのよいバランスで.


ところで,スイスは直接民主制である.投票は自分の故郷のカントンで行わなければならないし,数か月に一度の割合で国民投票がある.その週末ごとに電車は故郷に帰る人で溢れる.投票率は50%程度.そういうのって,国が小さいからできることなんじゃないかと思う.国が大きくなって匿名性が上がっていくと,ポピュリズムの悪い面が前面に出てくるのではないかと思う.

これって自分の中の変化を嫌う性質なだけ,なのかなあ.



成熟した社会においては,子供が生みやすい社会の方がいい.育児は父親・母親で半分ずつ分担するとしても,産休はどうしても女性が取らざるを得ないし,出産直後母乳で育てようと思うとその期間もフルタイムで就業は難しいかもしれない.それはまず認めるとして.雇う側からすると,女性を雇う方が余計なリスクがあるのは確かだ.ぎりぎりで働いている職場では,一人が産休を取ると他の人の負担が増える為,白い目で見られてしまうのも事実だろう.それらを防ぐには,日頃各自の仕事の負担をそこそこに抑えておいて,何かがあった時の余裕を確保しておく,というモデルがいいだろう.例えば日頃5人で80%の力(と給料)で働いている時に,一人抜けたら,みんなが100%の力(と給料)で働ける.

自分個人としては日々マックスで働きたい気持ちはあるが,それは多分常にそうであることを前提にすると破綻するモデルなのかもしれない.或いはそういう人は,自分で仕事をしようということなのかもしれない.

特に,人数を増やして,持続可能なモデルを設定しておいた方がいいと思われる職業は,
 教師
 医師
 介護士
 保育士
とかかなあ.医師以外は,給料を上げた方がいいし,その為に払うべき値段を上げるか税金を投入するかした方がいいだろう.医者は人数を増やして給料を下げるべきだが,給料が減りすぎると医者のステイタスが減ってなりたい人が減るかもしれないので,よいバランスで.


吉本興業の芸人が反社会的勢力からお金を貰っていたことが社会問題になっている。反社会的勢力に組することはよくないながら、個人でその見極めをするのは難しかろうなあとは思う。お金を貰っていないと最初に言ってしまったのは、弱さではあるけれど、誰もが持つ弱さにも見える。

このことに関して宮迫博之さんと田村亮さんが謝罪会見を開いた。その真実味が胸を打っている。
謝罪会見を見て、応援メッセージが届いていますが、との問に、先のことを考えず正直に謝罪するという姿勢を見て応援してくれる人がいるということが、この先を生きて行く糧になる、と言っていた。

個人で生きて行く、個人の信用で生きて行く、ということが如実に表れている。

人が多くなり、組織になって行くと、一人では出来ない強みが出てくる。が、硬直化し、旨みに安住する傾向も出てしまう。自分のバックに多くの人がついていると思えば、無茶もできなくなるし保身もしたくなる。
今は、そういうことと逆の風の吹いている時代なんだろうなあ。

それにしても、彼等の人生ドラマは見ごたえがあったけれど、笑うというのは心を軽くすること。彼等を見て笑えるようになるには、時間がかかるだろうなあ。笑うというのはとても高度なことだ。

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